活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

【読書】人生の扉を開く最強のマジック

今回の読書感想はこちら。

ジェームズ・ドゥティ著「スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック」。どうしてもスタンフォード大学の権威を借りたかったのだと思うが、タイトル長すぎだろ(笑)。

 

 

この本は著者のジェームズ・ドゥティの半生を綴った実話だというが、そのことにあまりにドラマチックすぎて気づかなかったというか、満員電車の中で漫然と読んでいたので最後の方で気づいて驚いた。

アメリカの片田舎の街の貧困家庭で育ったジム(ジェームズ・ドゥティ)は12歳のときに訪ねたマジックショップでルースという女性に出会う。彼の不幸な境遇を見抜いたのか、ルースは

「この町には6週間しかいないけれど、毎日会いにきてくれたらマジックを教えてあげる。店じゃ買えないような、何でも欲しいものを出せるマジックよ。本物のね」

と言ってジムに毎日会いに来るよう誘い、人生を変えるマジックを伝授した。手品ではなく魔法の方のマジックだ。それはいまでいうマインドフルネスで、ルースは呼吸法や集中方法などを丁寧に教え、どん底の生活から這い上がりたかったジムも真剣に学び、練習し、自分のものとした。このマインドフルネスはただ単に頭を空っぽにしたりリラックスするためのものではなく、望む現実を引き寄せるための方法でもあった。この方法をものにしたジムはドゥティ家の家庭環境では不可能だと誰もが思っていた大学進学を果たし、当時からの夢であった医師になった。どんな困難が襲ってきてもジムはルースのマジックで切り抜けた。

しかし、外科医となりお金も成功も手にしたジムは当時ルースから言われた

「わたしが教えたマジックには威力があるの。いい方に使えばいいけれど、準備のできていない人がその力を使うと誰かを傷つけたり、痛みを引き起こしたりするの」

という言葉を忘れてしまい、多くのものを無くしたくさん傷ついた。けれどもその過ちから学んだジムはスタンフォード大学に共感と利他精神研究教育センターを設立。それは「脳と心臓が強調すると、人はより健康になり、他人に対して自然に愛と親切と気配りを表現するようになる」と自分が直感的に知ったことを科学的に裏付けたいという思いからだった。まだセンターの設立準備中、ジムの考え方に共感したダライ・ラマはこのセンターに献金している。

 

私は怠け者なのでこの本で紹介されているマインドフルネスのテクニックを試したことはないが、ビジュアライゼーションやマインドフルネスが引き寄せの法則に有効なのはよくわかった。紹介されている方法でマインドフルネスを身につけるのは大変そうだけれど、自分もYouTubeの誘導瞑想などを使ってマインドフルネスを続けてみようかなと思った。

マインドフルネスがいいなと思った以上にこの本は物語も優れていて、かなり読み応えがあった。それはジムと自分の境遇に似たところがあったせいだとも思う。ジムの両親も低学歴で貧しく行動に問題を抱えていたが、うちの親もそうだった。ジムは周囲に大学進学した人がいなかったので進学に関わるいろいろなことを知らずにありとあらゆることで苦労していたが、自分もそうだった。奨学金のことなどもっと早く知っていればとか、金銭以外にも手続きや学部への認識など(例えば経済学部は文系だが数学ができないと軽く死ねるなど)大学進学経験者が身近にいないとかなり進学のハードルが高い。問題家庭の子どもが進学するなどと担任の先生も考えてもいないからどうしてもフォローも甘くなる。両親が大学を出ていなくても子どもの進路に興味があれば一緒にいろいろ調べてくれたり相談先を探してくれたりもしただろうが、子どもの進路に興味がなかったり子どもの進路のことなど自分の人生に手一杯で考えられない親の元に生まれると大学進学がかなり手探り状態になる。うちの親も私がどの大学を受験したとかどの学部を受験したとかよく知らなかったと思う。高校だけは近所に自慢できるところに行かせたかったらしく「市内四校」といわれる進学校に行かせたかがっていたが、その高校にさえ行ってくれればあとは好きにしろということらしく金も出さなかったが口も出さなかった。

また、ジムの父親がとんでもないアル中なのだが、その醜態も自分の親の姿と重なるところがあって電車の中で読んでいたのになんだか泣けた。私は子どもの頃、周りにどんなに大人がいても誰も助けてくれないと学んだものだが、ジムはルースという女性に出会えて本当によかった、本当によかったねと心から思えた。ルースも決して幸福な人ではなかったが自分もある人に救われたことからその恩返しの気持ちでジムにマジックを教えたということのようだが、自分もそういう形で誰かに貢献することはできるだろうかと少し考えた。善意を次の人に回していくペイ・フォワードだ。そういえば映画「ペイ・フォワード 可能性の王国」も善意を他人に回すという案を思いついたトレバー少年も家庭に問題があり両親がアル中だった。

 

ということでこの本はマインドフルネスをやってみたい人にも、どうしても叶えたい願いがある人にも、心温まる成功物語を読みたい方にもおすすめ。

 

 

 

 

 

高速音読を始める

2月、3月といつもと違った仕事をしていたせいか甘いものの食べすぎかはたまたカフェインの摂りすぎか、ここのところずっとブレインフォグ状態でブログを書くのもままならなかった。いまも復活したとは言いがたいがそれでもなんとか前に進まなければならない。生来の怠け者なので放っておくとずっと寝たきり状態になりそうなのでうまく文章がまとまらないかもしれないがとりあえず今日はブログを書くことにした。

 

本当にここ最近、ブレインフォグ状態のせいかそれとも単なる老化のせいか仕事でも何でもやることなすこと失敗ばかり。これはイカンこんな状態では生きているだけで恥ずかしいと思いつつ、今日、情報収集(という名のネットサーフィン)をしていたら「高速音読」というものを見つけた。これでもかっというほどの速度でしかもちゃんと発音・発生をしながら文章を読むことで頭の回転が速くなり、集中力や耐性がアップし、伝えたい言葉がすぐ出てくるようになるというのだ。これはすべていまの私が求めていることではないか!と今日から早速始めた。

高速音読の効果的なやり方は

  • 難しすぎず、簡単すぎないものを読む
  • 内容をイメージする
  • 滑舌を意識する
  • 噛まないように注意する
  • 最高速で読むことを意識する

の5つらしい。気になった方は下のリンクを読んでみてほしい。このリンク先のブログ主さんは高速音読でかなり人生が変わったという。仕事で成果が出せるようになったとかブログで成果を出し転職したとか。人生も充実しているようでうらやましいぞ。私もこの方の体験を励みにしてこれから毎日頑張ってみようと思う。元々読書も朗読も嫌いではないし。

namakemonolog.com

 

難しすぎず簡単すぎない本かあ……何かあったかな……と手持ちの本のリストを頭の中に広げると1冊とっておきのものがあった。

 

アルト・パーシリンナの「行こう!野ウサギ」

これはずっと前に近所の商店街の古本屋さんで購入した。カバーの黄色が何となく目を惹いたので著者のこともこの作品の存在も何も知らなかったけれど深く考えもせず買ったのだった。読んだのはもう何年も前なのでストーリーは忘れてしまったが、読後感が非常によく「買ってよかった」と思ったことだけは覚えている。大人の童話作品で1998年頃、フランスとイタリアで大反響のあった作品らしい。

この本の詳細はまた高速音読で読了したらブログで紹介したい。

また、高速音読で私のブレインフォグ状態がどう変わったのかも報告したい。

 

 

【読書】「脱力のすすめ」小林正観

 

今回はこのブログに度々登場している小林正観さんの本「脱力のすすめ」をご紹介。

 

人はなぜか苦しい思いをして努力しなければ幸せは手に入れられないと思いがちだ。例えばいい学校へ行けば幸せになれるからと頑張って何時間も勉強し、いいプロポーションを手に入れればモテるから幸せになれるに違いないと無理なダイエットをし、幸せになるためには何かと引き替えにしないといけないんじゃないかと「○○をしますから願いを叶えてください」と取引のような言葉で神さまに手を合わせる、とか。多くの人が幸せになるためにつらい思いをしているといえばいいだろうか。

しかし、「はじめに」に以下の通り書かれているように小林正観さんの考え方は全くの逆だ。

 

 幸せになりたいのであれば、幸せになるための努力やがんばりはいりません。幸せになるための方法論は、「いま、自分が幸せである」と認識するだけだからです。

 

「脱力のすすめ」を書いたとき正観さんは糖尿病のため目もよく見えず足腰も弱っていた。実際、この本を出版した翌年にお亡くなりになっている。しかし正観さんは自分にできること、多くの仲間に恵まれていること、本を出版し多くの人に読んでもらえることなど幸せであることをたくさん感じ、幸せであることをたくさん認識し、幸せの中に生きていた。そう、身の回りにあるもの、出来事、人々に感謝をしていくことこそが幸せになることだと正観さんは考えていたし、正観さん自身がそうであった。この本で正観さんは「幸せになりたい」という人に、感謝をすることによって感謝をされた人びとを味方に付け、いろいろなことに喜びや幸せを感じ感謝をする「脱力のすすめ」を説いている。肩肘張って幸せになるためにがむしゃらに頑張るのではなく、がんばらずに生きる=脱力して生きることで幸せになる方法を優しい言葉で教えてくれている。

ただし、正観さんの基本的な考え方は「人生はシナリオ通り」というもので、人生に起きる全てのことは生まれる前に全部決めてきたのだという。言い換えればいま一部でよく言われている「人間に自由意思はない」ということだ。正観さんの場合はそれを頭の中で考えたわけではなく、学生時代から精神世界のことを研究してきた結果得られた答えだ。私自身はそれって自分自身がアバターみたいでつまらないなあと思うが、文字通り脱力したいときには正観さんの本を読むとなんとなく落ち着くことができるし、人に対して優しい行動を取れるようになる。

ではどうしたら脱力して生きていかれるのだろうか。

 

投げかけたものが返ってくる。

笑顔や明るい言葉を投げかけた人は、笑顔や明るい言葉に囲まれる。

 宇宙法則のひとつに、「投げかけたものが返ってくる」というものがあります。

 自分が投げかけたものが返ってきます。自分が投げかけないものは返ってくることはありません。

 同じように、愛すれば愛され、愛さなければ愛されない。

 嫌えば嫌われ、嫌わなければ嫌われない。

 

 

「ええっ、アタシ彼のこと愛してるけど片思いよ!そんなの嘘よっ!」って人もいそうだけどな〜とチラッとだけ思っておく(笑)。けれど、数人がいる部屋に不機嫌な人がひとり入って来るだけでもその部屋の空気が悪くなる。何も言わなくても思いは伝染する。やはり自分が笑顔なら笑顔が返ってくる確率の方が断然高いのはわかる。自分が人に優しく笑顔で接していれば人も同じようにしてくれて幸せに過ごせるというものだ。

正観さん曰く投げかけには、「心」「言葉」「行動」の”三コ”が重要とのこと。

 

」とは、自分が「喜ばれるように生きる」という方向付けをすることです。

言葉」とは口から出る言葉を喜びや感謝の言葉にすること。

行動」とは、実践することです。トイレ掃除をすると臨時収入が入ってくるという話を聞いて、頭の中でトイレ掃除をしても、実践しなければ臨時収入が入ることはありません。

 「投げかけ」は、「心」「言葉」「実践」がともなっていることが重要です。

 

 

1年のほとんどを講演活動に費やしていた正観さんの元には大勢の人たちが悩み相談に来たそうだが、そういう悩みや苦しみはみんな自分の「思い通りにしたい」という「思い」から生じていると正観さんは考えており、確かにその通りだと思う。人間関係の悩みも家族感の悩みも大体相手が自分の思うようになってくれないから悩むんだよな、と。そこで正観さんのおすすめは「思いを持たない生き方」。家族、上司、友人に「こうなってほしい」「こうしてほしい」という「思い」を持たない生き方。これはわかる。私はどちらかというと幸福を感じている時間が長いし他人に対して怒りを持つことはほとんどないというかほとんど怒らない人間だが、人に対してそういった期待や思いを持ってないからだと思う。「思い」を持たないのはストレスを感じることもなにのでおすすめ。

 

また、正観さんといえば「愚痴、不平不満、泣き言、文句、悪口」を言わない五戒が知られているが、何かトラブルが起きたときにそれらを一切言わずにいると、後日、想像もできないような楽しい出来事が神さまから届く、というのが正観さんが五戒をすすめる理由だ。人間としてもこれらの五戒を言わない人の方が気持ちがいい。私も次に何かトラブルやアクシデントが起きたときにこの五戒を守ってみようと思う。いつも心がけてはいるのだが人に話すときについつい泣き言が混じってしまいがちになる。反省反省。

 

幸せになるためには「喜ばれる存在になること」だと正観さんはこの本でも説いているが、「喜ばれる存在」とは頼まれごとを引き受けていくこと。頼まれたことは断らずに全て引き受けていくと道が開けていくらしい。「頼まれて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。これが人間の生き方です。」と正観さんは書いているが、これには正直「う〜ん」となってしまう。人の役には立ちたいし、感謝されることは嬉しい。生き甲斐にもつながる。なんだけど、人生にはしなくてもいい苦労があるのは体験的に知っている。実は数ヶ月前にどうしても我が社で働いてほしいと懇願されたことがあり、自分的にもその方が生活が楽になるし正観さんのこの考え方も知っていたので悩んだが、どうしてもその会社にお世話になることが自分の幸せにつながるとは思えずに断ってしまった。ここには書けないようなよろしくない問題を多々抱えていた会社であったし、「疲れ果てて死ぬ」ということだけが目に見えていた。私はその会社のために「疲れ果てて死ぬ」ことが幸せだと思えなかった。

 

ほかにもこの本には子育てについても書かれているが、未婚子なしの自分が語るのはどうかと思うのでそれはここでは割愛。ただし、そんな自分でも「なるほど〜!」と感心することがたくさん書かれていたのでお子さんのいらっしゃる方には是非一読してもらいたいと思う。

 

この本の結論を言えばただただ感謝をしながら生きていくだけで人生はスムーズに流れるようになり、状況が一変し、幸せになるということのようだ。

 

 私たちがこの世に生命を授かった意味は、まわりの存在に光を発していくためです。人生に努力やがんばりはいりません。

 ただ笑顔で感謝をし、光を発して生きていくだけです。

 

 

災害と電話番号

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先日、災害時の備えについて取り上げてるテレビ番組をちらっとだけ見た。

非常持ち出し袋の中身は自分や家族に合わせてアレンジした方がいいとか、災害時に使うトイレや機材などを実際に使ってみた方がいいという話をしていた。それも大切だけれど、もうひとつ盲点だなと思った話もあった。それは災害時にスマホが使えなくなる話だ。実際に停電か何かで電車も止まりスマホも使えなくなったときに塾帰りの小学生たちがとても困ったというのだ。子どもたちは現金を持ち歩いていないのに停電のため電子マネーは使えないし、みんなでタクシーで帰宅しようと持ってもタクシーで電子マネーが使えるかかどうかもわからない。しかも、家族に助けを求めたくても通話機能自体が使えない。大人なら公衆電話を使えばいいじゃないと気づくが、小学生たちはどうやら公衆電話というものの存在を認識していなかった。後日取材で、ひとりの女の子がお母さんと一緒に公衆電話を使う練習をしたが、そのときにお母さんが公衆電話からの着信を拒否していることが発覚。これではもしもスマホが使えても連絡が取れなかった。

一口に被災と言っても備えなければならない食べ物も薬も、そして行動も人によって違いがある。子どもだけのときに被災するのも大変だし、小さな子ども抱えた親御さんも大変だ。

自分は子どもではないし子どももいないけれどこの路頭に迷う子どもたちの再現シーンを見ていて「!」と思ったことがあった。私は家族や友人の家の電話番号がひとつも頭に入っていない。もしも災害時にiPhoneが壊れてしまったり電池が切れてしまったらどこにも連絡できないではないか。

私は数字が上手く認識できない。ということは覚えられない。自分の電話番号はいろいろな書類に嫌と言うほど書いたから頭に入っているが、家族や友だちの電話番号はiPhone任せだ。それでもいざというときに備えて1か所くらいどこかの番号を覚えた方がいいかもしれない。

そんな私にも、たった1か所だけ、幼児の頃から覚えている電話番号がある。それは祖父の家の電話番号だ。「○○局の○○○○って言ってみなさい」とまるで九官鳥に言葉をおぼえさせるように伯母に何度も何度も言わせられたから頭に染みこんでいるのだ。伯母は私が言えるようになるまで何度も言わせた。何かあったらちゃんとここに連絡できるようにとの伯母なりの姪に対する愛情だったのか躾だったのか。ただし、かなり以前に祖父も亡くなって祖父の家もない。せっかく覚えている電話番号は使えない。

他にも義務教育時代の同級生の家の電話番号で覚えているものがふたつみっつあるが、それはここには書けないような、よくそんな縁起の悪い数字ばかり並べたなと感心するような、とても悲惨な語呂合わせなので覚えているだけだ。これらの同級生とも卒業とともに疎遠になったので災害時に電話をかけられるような相手ではないし、そもそもまだその番号を使っているかもわからない。

けれど、語呂合わせで電話番号を覚えていられるならその手で家族の電話番号だけでも覚えてみるか……と思ったがそもそもそんな語呂合わせができるような番号だったらすでに覚えているか。いや、スマホが登場して以来、スマホ同士で同期するだけだから番号なんて碌に見ていないな……。

とにかく非常時への備えは揃えたつもりになっただけじゃダメだなと思った。

そうだ、小さなアドレス帳とテレカか100円玉でも備えておくか。

 

 

 

 

【読書】「祈りの法則」天外伺朗

 

天外伺朗さんの本を読むのは初めてだった。

この本をチョイスしたのはAmazonのおすすめに出てきたこともあるが、個人的に祈りの力についてとても興味を持っているからだ。

 

天外伺朗さんはSONYで「CD」や「AIBO」などの開発を主導した、ちゃんと社会的に活躍された方である。本名は土井利忠さんといい、東工大工学科を卒業し東北大学工学博士でありエジンバラ大学名誉博士でもある。何がいいたいかというとバリバリの理系の方でありながらスピリチュアルに精通した方なのである。その方が書いた祈りについての本なのでどのようなことが書かれているのかとても興味を持ってページをめくった。

 

2000年、インディアンの長老から聖なるパイプを受け取った天外さんは20年にわたってパイプセレモニーというインディアンの祈りの儀式を続けてきた。

祈りというと病気、貧乏、不幸などの現実を変えたいとき、合格、結婚など自分がそれを得れば幸せになると信じている物事を手に入れたいときに行うもので、「現実を変えてやる〜!!」という強い気持ちが必用なものだとずっと思ってきた。それは幼い頃からそう教えられてきたからでもある。しかし、インディアンの祈りは違う。ただひたすら周りに感謝を捧げていくだけなのだ。天外さんもいろいろな人から祈祷を頼まれるが一貫して環境や周囲、出来事などありとあらゆるものに感謝を捧げていく。するとなぜか現実が好転し始めるのだ。

そして本書の中で天外さんは「『祈りの力』が強いと危険が伴う」と書いている。それは自分が望んだ結果を得るために現実を変えてやるという祈りの方で、インディアン式の祈りには危険はないそうだ。現実を変える祈りをすると現実を変えた反動で却って別の不運が襲ってくるなど安寧な人生を歩めるわけではないというのだ。天外さんの観察によると強い祈りの力を持った人は会社の経営は順調になっても不思議と精神を病んだ人を抱えていたり自殺者が出るケースがほとんどらしい。

 

厳しい修行により、とても強い「祈りの力」を身につけた方もいらっしゃいます。あまり世の中では知られていませんが、信じられないような奇跡的な祈りの例も、けっこうたくさんあります。これが「上級の祈り」です。

 ところが、このような「宇宙の流れ」をコントロールする祈り、というのは宇宙に歪みをもたらし、その歪みを受け止めなければいけません。

 

例えば大学合格を祈るとすると自分が合格することで他の人が落ちてしまう。それはエゴの祈りなので宇宙の流れから大きく逸脱してしまい、歪みが災厄として跳ね返ってくることになるのだとか。エゴの祈りをするとその結果割を食う人がどこかにいて、人の不幸の上に自分の幸福は築けないということになるのか。またそれはスピリチュアル界の一部で言われている「人間に自由意思はない」とか「人生は全てシナリオ通り」という説とつきあわせて考えるとどうなるんだろう。この説だと強い祈りで宇宙を歪ませることも生まれる前から決まっていたシナリオ通りということになる。

ただ私は以前から齋藤一人さんや小林正観さんの本を読んだりYouTubeで講演を聴いたりしているので「感謝が大切である」ということは馴染みのある教えだ。これからますます感謝の思いを強化していこうと思う。あらゆるものに感謝を捧げていこう。

 

しかし私がこの本の中で一番印象に残ったのは祈りというよりも怨念の話だった。

それは2000年の8月、天外さんがインディアンの長老・セクオイヤに誘われて平和祈願の儀式「サンダンス」に参加したときの話だ。

 

 サンダンスというのは、8月の満月をはさんでの4日間、飲まず食わずのまま、炎天下で踊るというインディアンの過酷なお祭りであり、これもホワイト・バッファロー・カウフ・ウーマンが伝えてくれた儀式のひとつだ、と言われています。

 ご先祖の霊を呼び出して一緒に踊るので、日本の盆踊りと似ています。ただ、娯楽化している盆踊りに比べてはるかに厳粛で、鬼気迫るものがあります。

 (中略)

 サンダンスのハイライトに、「ピアス」という儀式があります。

 長老が手術用のメスで背中(もしくは胸)の皮膚に2か所穴をあけ、そこに短い木の棒を通し、会場の中央に立てられた木とロープで結びます。ダンサーは、思い切り走ってドーンと木の棒に負荷をかけます。それを、皮膚がちぎれるまで何度も何度もくり返します。多くの人が血だらけになる凄惨な儀式です。

 セクオイヤの場合には、背中に4か所木の棒を通し、木の枝から垂らしたロープに括りつけて身体を空中に3メートルまで引き上げました。そこで、みんなでロープをゆさゆさとゆすり、皮膚が破れて落ちてくるまでやるのです。一般のダンサーより、はるかに凄惨でした。

 (中略)

 なぜこのような凄惨ともいえる儀式をするか?

 セクオイヤに聞くと、ここで自分たちが苦痛に耐えることにより、世界中の人々の苦しみを身代わりになって引き受けるという崇高な意味があると言いました。したがって、苦痛は強烈なほどよいそうです。

 私は、長年、白人から凄まじい迫害を受けてきたインディアンたちは、自分自身の身体を激しく傷つけないと気が済まないほどの激しい葛藤を抱えている、という感じがしました。

 

先祖代々の土地のみならず誇りも文化も取り上げられてしまったインディアンたちの苦しみは私が想像する以上のものだろう。

ほかにも松前藩のだまし討ちで殺害されたアイヌの英雄・シャクシャインがまだ成仏しておらず、天外さんのパイプセレモニーによって天に昇っていった話も出てくる。シャクシャインもやはりインディアンのような凄まじい怨念を抱えているというものの、同じアイヌが長年祈りを捧げてきたにもかかわらず成仏することがなかったのはなぜなのだろうか。

天外さんの考察はこうだ。

 

 アイヌが祈ると、どうしても怨念を上塗りしてしまうのかもしれません。自分たちも大和民族に対して深い怨念を抱いており、地縛霊の怨念と共鳴してしまうでしょう。その怨念から離れないと成仏できないのですが、祈り手が怨念を抱いていると、それは望めません。

 おそらく、この317年で大和民族が50人も来て祈ったのは初めてでしょう。先住民の和解であり、大和民族に課せられた宿題だったのです。

 

要するに大和民族がわびを入れた感じになったのではないかと。

 

いまも地球上では少数民族の弾圧が行われている。それを糾弾する側の国も先住民を迫害してきた過去がある。脛に傷のない国はないのかよ、といった状態だ。なぜ人間は先住民を迫害してまで領土や権力を広げていこうなどと考えてしまうのか。文明も文化も進化した。精神も進化させ凄惨な歴史をくり返さないようになってほしい。

 

 

 

 

夜型人間の苦しみ

世の中は朝早く起きて学校や仕事に行くようにできている。

だが、全員が全員朝向きの体質ではない。

 

故有って今月から早起きをして(※自分基準)仕事をしているが体も頭も付いていくのが大変である。早起きが苦ではない人から見ると朝が苦手な人は生活がだらしないと思われそうだがそういうことではない。私は本当に体質的に朝に弱い。どのように弱いのか上げていくと

  • 朝早く起きると下痢
  • アラームで目覚めると下痢
  • 起きて数時間気持ち悪い
  • 頭が全く働いていないので人として使い物にならない
  • 血圧が上90行かない
  • 体温が35度台
  • 1日中体調が優れない

我ながらよくこれで小学校から大学まで通い会社員として何年も務めていたなと感心する。この症状を見ると早起きすると多分自立神経がおかしくなるということなのだろう。お腹にくるのは本当に年齢と同じくらい悩んでいる。小麦粉製品を摂取するのを控えてから大分マシになったが早起きするだけで毎日午前中ずっと下痢とかかなりつらい。こういうときの下痢には止瀉薬は効かない。気休めに飲むけど。

早寝も苦手。早くベッドに入っても1時間以上眠れなくて苦しんでいるときが多い。それなのに翌朝早く起きなければならないという拷問。人間は早朝から活動するものだという社会の仕組み自体が拷問だから仕方ない。以前は眠れないことにストレスを感じていたが、目を閉じているだけでも疲れは取れると考えるようになってから寝付けないのは仕方ないと思えるようになった。けれど、夜型人間が朝方に合わせて生きていくとなると萬年睡眠不足状態になるのでつらい。いくら夜眠れなくても物理的に朝が来て働かなくちゃいけないのだから。目の下には二重にクマができているし頭の働きも鈍くなるので人間として終わっているように感じてしまう。

 

先日見つけた「動物睡眠タイプ診断」はオオカミ型だった。当たりすぎていてびびった(笑)。

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16test.uranaino.net

幼児の頃から夜寝なくて両親からよく怒られていた。怒られてもどうしようもできなかった。だって夜眠くならなかったんだから。いま思い返してみると両親とも夜型だった気もする。父は完全に夜型だったと思う。顔も寝相も父にそっくりだといわれていたから体質も遺伝したのだろう。

動物睡眠タイプ診断にも「朝の早い仕事は苦労します」と書かれているが、朝の授業も苦労だったし朝の仕事も苦労だ。朝方に寝てお昼ちょっと前に起きると一番体調がいい。

人間が朝起きて出勤してという生活をするのは労働者(奴隷)を管理する側が管理しやすいからだという説があるが管理する側の人は全員朝型人間なのだろうか。人間は元々太陽が昇ったら起きて日が沈んだら寝るという生活だったらしいから当たり前か。だとすると夜型の我々一族はどうやって生き延びてきたのだろうか。電気も行灯も何もなかった時代は夜型人間は存在しなかったのだろうか。いや、夜型人間がいれば夜間の見張りができてオオカミなどの肉食獣からみんなを守ることができたのかもしれない。しかし時代は現代。いくら眠れないことを気にしないようにできるようになったとはいえ、萬年睡眠不足を感じているわけだからマイケル・ジャクソンプロポフォールを投与してもらっていた気持ちがものすごくわかる。睡眠不足は心身ともに憔悴していくからね。一度でいいから気絶したようにぐっすり眠ってみたい。

 

スマホを持っただけなのに

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今日もマルチタスクの話。

って、お前はマルチタスクと掃除の話しかできんのかっ!って言われそうだけど続ける。

というのも今日、こちらの動画を見つけたから。

 

 

先日私もブログにマルチタスクでIQが下がるという記事を書いたが、こちらの動画はその理由を岡田斗司夫さんがわかりやすく説明したもの。

mori-meiro.hatenablog.com

 

岡田さんの動画は面白いのでよく観ている。

この動画でいわれていることをざっくりまとめると(本当にざっくり)

  • ニュージーランドの大学教授のジェームス・フリンさんが1984年に「人間のIQは年々上昇する」というフリン効果というものを発表した。それによると20世紀に入って人類の知能指数は10年単位で上がっている。しかし、それも1990年代に頭打ちになった。丁度ビデオが登場した頃と同じである。
  • しかも2010年から下降している。おそらく10年ごとに平均IQは6〜7ポイント下がる。その原因は「ながら」いわゆるマルチタスクスマホをしながら何かするということを覚えてからIQが10年ごとに6〜7ポイント下がるようになった。
  • スタンフォード大学で自分でマルチタスクスマホいじり、音楽を聴きながら、テレビ見ながらほかの作業をする)が得意だと思っている人を対象に調査すると集中力が低く実験問題の点数が低いことがわかった。これは「注意残余」という脳には切り替えをする時間が必用であることが原因。例えば映画を観ている途中で数秒間スマホでメールをチェックしただけで元に戻るまでに数秒の時間が必用
  • 脳はマルチタスクの最中にドーパミンを放出するためにマルチタスクをすると作業が進んでいるように錯覚する。注意力を散漫にすると報酬系のホルモンが放出される。なぜならば人類は原始時代、集中して狩りや採取などをしていると肉食動物に襲われてしまうから集中しないように脳が作られている。
  • マルチタスクはまるで作業効率が上がっているように感じるが調べてみると明らかにシングルタスクの方が効率がよい。
  • ではスマホを見たり触ったりしなければどうなるか大学生500人で実験した結果もある。サイレントモードか電源をオフにしてポケットに入れて教室に入り試験を受けたグループと、スマホの電源を切ってなおかつ教室にも持ち込まなかったグループでは明らかに後者の方が点数が高かった。なぜならばポケットに入っているだけで無意識のうちに数分に1回スマホのことが気になりそれを押し殺すために脳の処理能力の約10%を使用するから。では他人のスマホが机の上にある場合はどうか。それだけでも点数が下がることがわかっている。
  • スマホは常に新しいこと、注目すべきことを教えてくれるため常駐している重いアプリと同じ。他人のスマホすら気になる。
  • ウェブの文章でリンクを無視するだけでも文章の理解力が下がることもわかっている。それはリンクを踏みたいという心を抑えるのに脳の処理能力を使うから。

最後のウェブの文章が頭に入らないという話、「だからか!」とすごく納得した。ウェブ上で文章読んでもほとんど印象に残っていないことが多いのは紙との見た目の違いだけではないんだな。まあ、ここにもリンク貼りますけどね(イヒヒ)。Newsweekの「人間の知能指数が年々上昇する」というフリン効果は20世紀に終わっていた!?という記事なんてどうでしょう?これであなたの脳の処理能力は下がったかもしれない。

 

私としては実は元々マルチタスクをやりたかったわけではなく、環境によってそうなってしまった感じ。これは多くの人も同じだと思う。子どもの頃は上のきょうだいが「深夜放送を聴きながら勉強できる」なんてことを自慢している時期もあって「自分もそうならないとな」なんて憧れたりしたし、数年間在籍した制作会社ではずっとラジオを流しっぱなしにしていて最初はどうしても集中できないので止めてほしいと思っていたのにそのうち慣れてしまった。小さな制作会社はラジオが流れている率高めな気がする。そしていまはiPhoneiPodが手元にあって、何か頭を使わない作業をしているときに音楽や人の話を聴いていたくなってYouTubeを利用したりしている。

何とか脳のダメージを回復させようと今日も炊事洗濯の合間に音楽を聴いたりYouTubeで朗読を聴くのを止めにした。これでもっと頭がスッキリしてくるといいのだが。