活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

塗香の効果

ここ1年以上もう何かに祟られているんじゃないかと思うくらい運気が停滞していると悩んで以前から気になっていた塗香(ずこう)を使ってみることにした。

塗香とは香木や漢方の材料などのお香の原料をきめ細かいパウダー状にして混ぜ合わせたもので、お寺の参拝や写経のときにお清めのために手に塗り込んだり香水の代わりに使ったりする。最近では心霊スポットに行く人が予め手に塗香を刷り込んでいくこともあるようだ。

そんなわけで何かに取り憑かれていりゃしないかと疑わしい自分を清めるために1回試してみようと思ったのだ。

本当はお店で匂いを嗅いでから買いたかったのだが、近所の商店街の仏具やさんをチラッとのぞいたところないようだったし、Amazonで買うことにした。

レビューを参考にしながら選んでいると「カレー臭がする」というレビューのついたものもあった。原料にクミンでも入っているのか。

カレーの匂いを振りまくのはイヤなので「カレー臭くない」という評価の付いたものを試しに買ってみた。それが下の写真。松栄堂塗香【極品】。

 

 

パッケージを開けるとお寺のお香をもっと甘くした匂いがする。

ほんのひとつまみだけ手に刷り込んでみた。

すると………

なんということでしょう!!!!

突然頭がシャッキリとした。急に思考がクリアになったというか、気付けになって元気になった。これは心霊的な意味よりも漢方的な効果がやアロマセラピー的な効果があるのだとみた。

 

しかし、そんな素晴らしい効果が得られたというのに実はまだ2回しか使っていない。

匂いがとてもキツイからだ。

手に刷り込んだ直後はお寺の匂いだが、しばらく経って体温で温まってくるとこれが何故かキャラメルポップコーンの匂いに変化する。食べていないときに食べ物の匂いを嗅ぐのは苦手なのでちょっとこれはなあ、と思った。「あなたキャラメルポップコーン臭いですよ」といわれるのもイヤだし。しかも、シャワーを浴びてもうっすら匂うくらい強い。

仕方ないのでさっさと何か他の用途でも使い切ってしまおうと思い、用途を考えているうちに「掃除に使った」「猫のトイレの臭いが消えた」というレビューがあったことを思い出した。これなら毎日使えるかもしれない。そこで玄関にほんの少量の塗香を撒いて拭き掃除してみることにした。お清めにもなりそうだし。

すると………

なんということでしょう!!!!(2回目)

玄関にカレーのにおいが充満することに!!!!(泣)。

いやいやいやいや、まさかのカレー臭がここで出るとは。

このカレー臭も3日くらい消えなかった。加齢臭じゃないだけいいか。いや、どちらもよくないけど。「猫のトイレの臭いが消えた」というのもこの強烈な匂いでマスキングできたからなのだろうか。そんな気がする。いや、もしかしたら原材料に排泄物に消臭効果のある漢薬が使われているのかもしれないけど。

普通に袋を置いておくとお寺の匂いなんだけどなあ……。この匂いのまま変化しなければなあ。

この商品の名誉のために書いておくとAmazonのレビューにはこの香りに満足する声も多かったし、自分も頭がスッキリして元気になる効果を得られた。匂いには好き好きがあるので、私には合わなかっただけでスッキリ感も得られる。

この商品が塗香には効果があると教えてくれたので違うメーカーの塗香も試してみることにする。

 

あ!!

何かに祟られているかもとか憑かれているかもとか考えて塗香に手を出したのだが、そういえば私は守護霊が悪いものからとてもよく護ってくれているのだということを思い出した。ということは何かに祟られて云々というのは単なる妄想でしかないだろう。いや、運命が好転しないことへの言い訳をしたかったのかもしれない。後ろのみなさん、いつも護ってくれてありがとうございます。そして押しても引いても運気がびくとも動かないと思っていた運気がいまは徐々に動き始めている。そのことにも感謝。

 

 

 

【読書】運転者

「運転者」喜多川泰 この本の存在は出版当初から知っていた。

本屋に平積みになっていたし話題になっているみたいだったし。

けれど、へそ曲がりの自分は流行りの本はあまり手にしない。だから発売当時は読まなかった。それを読んでみようと思ったのはよく視聴しているYouTubeチャンネル「ハッピー研究所」で紹介されていたからだった。

 

 

ショウさんの語り口が柔らかく温かなため、登場人物にも好感を抱いて読んでみる気になった。

しかし、読んでみると主人公の修一はなかなかに不機嫌で営業のためだけに愛想をよくするようなどこの会社にもいるイヤな同僚のタイプ(笑)。私はイライラしたおじさんは苦手なので読み始めたときには正直「失敗したかな……」と思ったのだが、この物語はそんなどこにでもいる不機嫌営業マンが人生で大切なことを学んでいくお話だった。

ざっくりとストーリーを書くと……

完全歩合制の生命保険会社に転職した修一だったが、完全歩合制のため2年目からは収入激減になる可能性も高い。しかも新規契約を取った20人から一度に解約を求められ、収入がマイナスになる危機にあった。夫婦仲もそれほど上手くいっているわけでもないし、娘は不登校。仕事でも私生活でも大きな問題を抱え、毎日が不機嫌だった。

そんなある日、修一の元に1台のタクシーが現れる。自分の意思とは関係なく乗り込んでしまった修一だが、このタクシーは修一の人生を変えるのが仕事だという不思議なタクシーだった。乗車賃は金ではなく溜まったポイントから差し引かれていく仕組みの謎のタクシー。一体何のポイントなのか修一にはわからない。一体、このタクシー運転手の正体は誰なのか?そしてタクシーに使われているポイントの秘密とは?

修一はこのタクシーに導かれるまま人生の転換点へ行くことで「運」とは何か人生で大切なこととは一体何かを学んでいく……。

というもの。単なる小説というよりも自己啓発小説とでもいったような内容だった。

自己啓発的なないようではあるが小難しいことはなく、あっという間に読めてしまうので通勤電車の中で読んだり、就寝前の読書に最適だと思う。

私が本書を読んでなるほどなと思ったのは運はいい・悪いではなく貯めて使うものという考え方だった。

修一を乗せるタクシーの運転手「御任瀬卓志(おまかせタクシー)」はこう言う。

ポイントカードと一緒で、「いい・わるい」「ある・ない」ではなく運は貯めて使うものなんです。努力をして結果が出ない場合は貯めているだけで後に報われるんです。

私はこれで「徳を積む」という言葉を思い出した。「陰徳あれば陽報あり」も。

どんなことをすれば徳が積めるのかはわからないし、自分では徳を積んでいるかもしれないと感じているごみ拾いや電車の中で席を譲るなどの行為もどれほどの徳になっているかはわからないし、実際何をすれば徳を積んでいることになるのかもわからないが、だからといって何もしないよりはほんのちょっとだけでもいいから人の役に立つことができたらいいなと思う。

 

修一は不思議なタクシーによって運命が変わる場に案内されるが、実際にはちっとも運が掴めない。話が違うじゃないかとさらに不機嫌になっていく。そんな修一に向かって御任瀬卓志はどうしたら運が掴めるのかについてこう語る。

運が劇的に変わるとき、そんな場、というのが人生にはあるんですよ。それを捕まえられるアンテナがすべての人にあると思ってください。そのアンテナの感度は、上機嫌のときに最大になるんです。逆に機嫌が悪いと、アンテナは働かない。最高の運気がやってきているのに、機嫌が悪いだけでアンテナがまったく働かないから、すべての運が逃げていっちゃうんです。昨日のあなたみたいに。

そう。誰だって機嫌の悪い人に近づこうとかいい話を持っていこうとは考えないはずだ。しかし、自分は毎日イヤな仕事イヤな人間関係に囲まれていると思い込んでますます自分を不機嫌にして運を掴めない人は意外と多いのかもしれない。

私は15年くらい前に齋藤孝さんの「上機嫌の作法」という本を読んでから上機嫌でいることを心がけてきた。不機嫌になって周囲の人に「さあ、私の機嫌を取りなさいよ!」みたいな雰囲気を振りまくのは大人のすることではないと思ってできるだけ機嫌よくいるように心がけている。それで運が掴めたのかといわれると現状の生活をみるとお恥ずかしいのだが。けれどもいつも不機嫌で不平不満・愚痴・文句・悪口を垂れ流しているよりはよっぽどいいかなとは思っている。

 

さて、本書の後半ではこの不思議なタクシーの正体も何となく明かされる。

それは第二次世界大戦で戦死した修一のおじいさんにまで遡るのだが、それは本書を読んでのお楽しみ。ただ、自分も祖父が非常に若くして戦死しているので他人事には感じられなかった。日本の繁栄もお国というか家族や愛する人を守るために戦地に赴いた若者やお父さんたちがいてくださったおかげだと思っている。私の祖父もきっと愛する妻と赤ちゃんを残して戦地に行くのは断腸の思いだっただろう。

 

そんなわけで本書は何をやっても上手くいかない、どうしたら運が掴めるんだろうと悩んでいる方にお勧め。ただし、自己啓発にはアレルギーがある方はなかなかページが進まないかもしれない。

 

 

 

潜在意識で大魔法使いを目指す

苦しい現実から抜け出したい……

どうしても叶えたい思いがある……

そんなときに努力ではもうどうにもできないと感じ、スピリチュアル方面に目を向けて「思考は現実化する」や「引き寄せの法則」「潜在意識」を知った人は意外と多いと思う。かく言う私も引き寄せや潜在意識の力を信じているひとりだ。

 

引き寄せの法則」や「潜在意識」に出会ってアファメーションやイメージ法で望むことを潜在意識に刷り込もうとチャレンジしても、なかなかうまくいかない人も多いようだ。潜在意識に言うことを聞いてもらうにはコツがいる。

まず、潜在意識さんは我々の思いを忖度してくれない。思ったことを「言葉通りに」どストレートに叶えてくれる。なので「○○になりたい!」と思えば「○○になりたい!」という現実だけを引き寄せてくれるので永遠に「なりたい」自分から脱却できない。「○○がほしい!」と強く思えば延々と「ほしい」と想い続ける現実を実現し続ける。

そこで潜在意識さんにお願いするときには完了形でお願いしないといけない……というのは有名な話だ。「私は○○になることができました」「私は○○を手に入れることができました」という感じで。このあとに「ありがとうござます!」もつけるともっといいらしい。

こう考えてみると潜在意識を使って夢を叶えるための一番の敵は「渇望感」なのだろう。渇望感から願いが生まれるわけだが、現実化させるためにはこの渇望感を満たしてすでにあるように感じないといけないらしい。だとしたら日頃から空想や妄想に浸っている人は夢の現実化にとても近い場所にいると言っていいだろう。その得意の妄想スキルが現実化のための強力な武器になる。

 

もうひとつ、潜在意識さんの特徴に「自分と他人の区別ができない」というものがある。

誰かに嫌なことをされて「あの人のこと許せないわ!」と思っても、潜在意識さんはその人とあなたの区別ができない。なので許せないという気持ちは許せないと感じた人に戻ってくる。恨み辛み、呪いにも似た気持ちは自分に返ってきてあなたの心や身体を蝕むのだ。ところがその頃、その恨まれている人はな〜んにも知らずにのほほ〜んと暮らしているかもしれない。理不尽だと思うがどうやらそれが宇宙の法則らしい。

このことを知ったとき「人を呪わば穴ふたつというのはそういう仕組みだったんだ」と合点がいった。穴をふたつ掘るのは潜在意識のなせる技なのだ。「あいつどうしても許せん!!」という強烈な願いが宇宙に届いてその憎い相手に若干の不幸を起こすことができたとしても、「どうしても許せん!!」はどストレートに自分にも返ってくる。せめて穴がふたつ掘れていればいいが、ニュースなんかを見ていると恨まれている人は憎まれっ子世に憚るで元気いっぱい生きていて、そいつに酷い仕打ちをされた人の人生の方がどんどん転落し、心や身体も蝕まれて「神も仏もいないのか〜!」みたいになっている場合が多いように感じてしまう。

一方、潜在意識が「自分と他人の区別ができない」ことは幸せな方にも働く。誰かの幸せを願えばその幸せが自分に返ってくるし、誰かを祝福すればいずれ自分が祝福される立場になるという。誰かが幸せになったときに嫉妬をするよりもお祝いできる人の方が人生お得だということだ。「徳」は「得」なんだな。

 

人を恨まないとか嫉妬をしないとか、前向きでいることは意外と難しい。潜在意識云々の前に心にも訓練が必用だと思う。訓練しないで放っておくと心は呪いの穴をふたつ掘りそうだし、すぐに誰かに嫉妬をしてしまいそうし、将来を悲観して悲惨な未来ばかり思い描いてしまいそうだ。するとアラジンと魔法のランプの魔神のような潜在意識がすぐに不幸な現実を届けてくれる。

幼児の頃からペシミストだった私も不幸な現実を引き寄せないために自分自身の波動を上げようと気分のよくなることを探したり、元気の出る話をYouTubeで聴いたり本を読んだり、自分で自分の機嫌を取るために毎日ありとあらゆることをやって、やっと人並みの前向きさを得たような気がする。そうやって心を訓練していくと前向きでいいられる時間が長くなってくる。これまでの人生は不運なこと、端から見たら騙されたこともあったと思うが、穴をふたつ掘るよりもその人を見下ろせるくらいの山を築きたい。

そんな私もいまは潜在意識を使っていろいろ引き寄せてみようと企んでいる。目指すは大魔法使いだ。

 

 

 

連休はまったり工作と料理した

ゴールデンウィークが終わった。

まあ、毎日がゴールデンウィークみたいな生活をしている自分にとってはあんまり関係ないことだったけど、仕事の書類をまとめたりするのに大分手間取ってほとんどそれに時間を費やしてしまった。というかやらなきゃいけないのにやる気が出なくて、Macに向かって書類を作り始めるまでに毎日毎日すっごく時間がかかった。だらだらネットサーフィンをして、やっと仕事に取りかかるのが夜。どれだけやりたくないんだよw

とりあえず仕事を終えた夜中、みんなが寝静まったような時間には簡単な工作をした。子どもの頃は図画工作が好きだった。

そのひとつがこれ。以前買い置きしておいたクッキーの箱が空箱職人はるきるさんの工作仕様だったので、真夜中にサッポロの99.99クリアオレンジ飲みながら作ってみたじょ。

グルテン摂ると体調が悪くなるから本当はクッキーなんてあまり食べちゃいけないんだけど、朝コーヒー飲んでいると無性にクッキーを食べたくなるときがある。外出する予定がある日は食べられないが、ずっと家にいても大丈夫な日にはカフェオレとクッキーの取り合わせを楽しむ。身体に悪いものはおいしいよね。

んで、このリラックマのかわいい箱がはるきるさん仕様でこうなる。箱の内側が型紙になっているのでそれを切り取って折って貼るだけ。

ピンぼけすごっ!!

そして写真で見ると切り口汚っ!!

99.99飲みながら作ったと書いたけど、本当はいつもお酒もあまり飲まない。

けれど、先日どうしても炭酸のオレンジジュースが飲みたくなってスーパーの飲料コーナーに行ったら99.99のクリアオレンジが95円(税別)だった。本当はオランジーナとかそういうのでよかったんだけど、何だかそのときはアルコールが含まれていた方が付加価値が高いように感じて買ってしまった。で、問題は私は甘くないお酒は好きじゃないということ。このお酒はオレンジの風味はしたが甘くなかった。大人の味だった。そこでオリゴ糖で甘く味付けをして飲むことになった。おとなしくオランジーナとかファンタオレンジとか買っとけばよかった。で、その晩、長谷川博己さんとおそろいのユニフォームを着て仕事をする夢を見た。「ああああ99.99飲んだせいかwww」と夢の中ですぐにわかった。CMやってたからね、長谷川博己さん。彼は私の夢の中でもシュッとしていた。

 

で、もうひとつ作ったものを紹介。

グルテンが身体に合わない私だが、本当は小麦粉製品が大好き。麺もパンもケーキも大好きだ。本当は朝食はパンがいいなと思う。けれど、朝食をパンにしたら身体が大変なことになる。それなのに近所には米粉パンを売っている店がない。あ〜あ、自分で超簡単に米粉パンを作れないかなと常日頃から思っていたら、検索したわけでもないのに簡単米粉パンの作り方を紹介した動画をYouTubeにオススメされた。YouTube、私の思考を読んでいるのか??と思いつつ早速動画を観てみると、材料も少なくてすむし近所のスーパーで手に入るものだけだったからこれも早速作ってみた。

 

 

<材料>

*豆腐1パック(150g)

米粉 70g

*砂糖 大さじ1

*ベーキングパウダー 小さじ1(4g)

サイリウム 小さじ1/2 (なくてもOK)

サイリウムAmazonで1000円もしたので私はおからパウダーで代用した。砂糖も家でいつも使っているきび砂糖を使用した。

材料を全部こねこねして生地を4等分するとこんな感じ。

手にくっつくのでこういう見た目になった。サイリウムとかおからパウダーを入れないともっと手にくっつくらしい。

で、これを電子レンジ600wで3分加熱。

できあがりはこちら。

中華まんとかおやきとかの生地っぽいものできた。

写真だと粉っぽく見えるが、実際はそうでもない。中もしっとりふわふわ。

本当のパン好きにはダメかもしれないが、食パンの中ではヤマザキのふんわり食パン(耳まで白いやつ)が好きな私にはぴったりだった。

ただ、失敗したなと思ったのは、豆腐を使っているのにおからパウダーまで使用したこと。できたてほやほやの時はすごく豆腐臭がすごい。ただ、カルピスバターを塗ると豆腐のにおいは全然気にならなくなった。たまごサラダも作ってトッピングして食べたが、それとも相性がよかった。生地自体も噛めば噛むほど甘味が出てくるのに甘ったるくない。要するにおいしかった。

時間が経つと固くなるかどうか調べるためにひとつ残して冷蔵庫で保存してみたが、かさつきもぱさつきもなく食べることができた。できたての味には敵わないけれど合格点ではある。今度は1日保存したものをさらにオーブントースターで焼いてみようと思う。ということでこれはまた度々作ることになると思う。料理のレパートリーが増えて嬉しい。次はおいしい米粉クッキーのレシピが降ってくるといいな。

 

 

 

【オススメYouTube】パコーン未来ch

最近ドはまりしているチャンネルがある。

それがタイトルにも書いた「パコーン未来ch」。

予言や歴史の都市伝説などを扱っているチャンネルだが、リサーチ力が半端ではない。それだけに頻繁に更新されているわけでもなさそうだが、エンターテインメントとして都市伝説を扱っている一方でリサーチによる凄まじい裏付けがあるので信憑性を感じてしまう。

 

みなさんはタルタリア帝国をご存じだろうか。13世紀から19世紀初頭に書けて存在したといわれる巨大な帝国だ。その領土はユーラシア大陸の北部全土をほぼ網羅し、中央アジア、インドの一部、北アメリカ大陸の大半と南アメリカ大陸の一部まで含まれていたという。古文書にも登場し、地図も残されているというのになぜか存在したことは抹消されている謎の帝国である。

なぜ存在が消えてしまったのかについては1800年代のいつ頃かに泥の洪水「マッドフラッド」が起きて埋まってしまったからだといわれている。しかもタルタリアだけが埋まってしまったわけではなく、世界中が一度リセットされるほどの規模の泥の洪水だったというのだ。

この話を知ったときには「本当だったら面白いな、夢があるな」とワクワクする一方で「じゃあなんで歴史に残っていないんだ?学校で教えないんだ?」と疑う気持ちもあった。

しかし、パコーン未来chに出会って、このチャンネルがアップするたくさんのタルタリアについての動画を観ていくうちに「タルタリア帝国、絶対実在していただろ!」という気持ちになった。パコーン未来chのリサーチ力と豊富な資料にすっかり魅せられてしまったのだ。

 

 

タルタリア帝国のあった時代、日本も絢爛豪華だったらしい。そして日本もマッドフラッドによって一度埋まっている。その形跡が東京にも残っている。

 

 

パコーン未来chがタルタリア帝国について扱っているのは上にリンクを貼った動画だけではない。何本も出ているので(しかもまだまだ続きそう)是非全部見てもらいたいと思う。世界の歴史は全部つながっているんだなとよくわかるし、歴史の浪漫に浸れること請け合いだ。

私は元々歴史が大好きで特に縄文時代や江戸時代などが好きだったが、タルタリアについても縄文と同じくらいの情熱を持ってしまいそうだ(いや、熱量低いですけどね、普通の人よりもずっと)。

タルタリアの存在を消し去ってしまうほどのマッドフラッドを起こしたのはどうやら自然災害ではないらしい。どうしてもタルタリアを消し去ってしいたい勢力が存在し、核ミサイルを撃ち込んだとも考えられている。そして歴史からも消去してしまったと。1800年代に核なんてあるわけないと思うだろう。けれどもパコーン未来chの動画のタルタリアのシリーズを見ていくと「なるほど、そういう考え方もあるのか……」という思いになってくる。

動画も内容も素晴らしいパコーン未来chさんだが、もしも1点だけ要望できるならばコンピューターの音声じゃなくて誰かの肉声だともっと聞きやすいのだけれど。

あとは要望ではなくお願いなのだがあまりに内容が深いのでぜひとも書籍にしてほしい!

字で内容を追うことができたらもっと頭に入ってくると思う。動画もいいのだが、動画は思索しながら観るのに向かない。自分でもあーでもないこーでもないと考えながら知識を頭に入れるにはやはり活字がいいなと思う。

今後、自分でもタルタリアについていろいろ調べてみたいがざっとネットで検索をかけてみてもそれほどいい記事はないし、書籍がない。だから余計にパコーン未来chさんのリサーチに感服する。

ちなみにタルタリアは日本語でいうところの韃靼だ。この記事を書くに当たって先ほど久しぶりにボロディンの「韃靼人の踊り」を聴いた。あとは寝る前に長野県産の韃靼そば茶を飲んで寝れば今日は完璧だ(笑)。

もちろんパコーン未来chさんはタルタリアに特化したチャンネルではない。キリスト教の聖人や聖書の都市伝説、ファティマや日月神示などの予言、宇宙人についての都市伝説など興味深い題材を豊富に扱っている。またリサーチ力だけでなくなんといっても考察力が大変優れているので是非みなさんにも見てほしいと思う。

 

 

 

 

【読書】行こう!野ウサギ

 

先日、高速音読をアルト・パーシリンナ「行こう!野ウサギ」という本で始めたと書いた。

そしてそのときに読後感が非常によくて「買ってよかったと思った」とも書いた。

そう。この本を読んだときの私は世界で頑張る日本人の番組を担当していたこともあって海外にすごく興味があり、特にフィンランドにはとてもとても憧れていた。

そして何よりいまの10倍くらいは忙しくて恐ろしく疲れていた。

mori-meiro.hatenablog.com

海外のことに触れることも少なくなり、フィンランドへの憧れも昔よりも随分薄れ、仕事がなくて困っているいまこの本を読んだ感想は昔とは随分違う。

この本は「大人の童話」というよりも「男の童話」ということに気がついた。私もそれだけ大人になったのだ。

主人公の雑誌記者ヴァタネンはカメラマンと取材に行った帰りの車でとても険悪な状態にいた。イライラしながら運転していたカメラマンが誤って子どもの野ウサギをはねてしまった。ウサギを心配したヴァタネンは車を降りて野ウサギを追いかけて保護し、そのまま車へは戻らず野ウサギを連れて放浪の旅に出る。

不本意な仕事と冷め切った仲の妻と離れたヴァタネンは山火事を消火する仕事に就いたり、山小屋を修理する仕事をしながらフィンランド中を放浪する。途中で美しい娘と一夜の恋に落ちたり、最後には泥酔して記憶がない間に美しく有能な弁護士と婚約していたり……とまあ男性が読むと心躍る物語だ。途中で仕事もしているし、第一、船を売ったためにできた大金で旅の資金にも困らない。主人公に金の心配がないことも大人の童話を心から楽しむためには重要な要素だと思う。

しかし、長年社会人として働いてくる中でリビドー丸出しの多くの男性たちを生暖かい目で見守ってきた結果、この物語を手放しで「面白かった!」とは言えない自分になっていた。ほんと、国は違っても結局は美しい娘とあんなことやこんなこと……か、と。まあ、全体的には面白くはあったんだけどね。

私が特に面白いなと思ったのは「大統領のとんでもない秘密」という章だった。

ヴァタネンが途中で出会ったハンニカイネンという元警察署長の老人はフィンランドのケッコネン大統領(1956年〜1981年までフィンランド共和国の大統領を務めた実在の人物)の重大な秘密を突き止めていた。それは1968年か遅くとも1968年の前半に別人と取って代わっているというものだ。写真から頭蓋骨の形や身長を比較し、別人であるという結論に至った。作者のアルト・パーシリンナ自身も同じように考えていたのかどうかは知らないが、現代でもある国の大統領に別人説が出ていたり、ある国の最高指導者に影武者説が出ていたりする。私もそんな噂のある写真を見て「うわ〜本当だ耳の形が違う〜w」なんて楽しんだりしているのでパーシリンナやフィンランド国民も同じように楽しんでいたのかもしれない。知らんけど。

男の童話かよ、というがっかり感はあったものの、この本を読んで大人の童話というものには自分が思っているよりももっとずっと人びとを楽しませる可能性があるのだということを感じた。

 

また、この本を高速音読のテキストとして使った感想の方はといえば、難しすぎず簡単すぎず丁度よかった。3日ほどで読めたのでいいチョイスだったと思う。ただし、登場人物や地名が見慣れないカタカナだったので、目でも追いきれず舌も回らずその点は苦労した。その分ほどよく頬や首の筋肉が刺激されてたるんだ顔も若返りそう、なんて淡い期待も抱いている。

また、高速音読で読書をすると脳が疲れていると文字の上を目だけがすべっていく現象が減って本の内容が頭の中によく残るような気がする。

がっついて読むので普通に読書をするよりも早く読めるのも嬉しい。この分だと今年は読書の量が増えるかもしれない。

 

「青い光が見えたから」は超オススメ本!

吸い殻拾いいたちごっこ

3月30日のブログで高速音読を始めたと書いたがいまのところまだ続いている(まだ3日目だけど)。始めて気づいたのは朗読力の衰え!

高速音読なのにちっとも早くないし、滑舌も昔よりも格段に悪いし、読み間違いも多い。人間ってやらないことは衰えていくんだなと実感している。あとはなぜか唇や頬が痺れるくらい疲れる。これはもしかしたら口や頬周りの筋肉が鍛えられているということで小顔効果もあるかもしれない。脳と一緒に顔も若返ってくれたら嬉しいなあ。

mori-meiro.hatenablog.com

 

 

話変わって。

ブログで何度か書いたが私はごみの日に近所のごみ拾いをするのを楽しみにしている。

マンション横の小路はなぜか喫煙スペースになっているようでいつもたくさんの吸い殻が落ちていた。灰皿をひっくり返したんじゃないかと思うくらい落ちている日もあった。

それが、根気よく拾っていたせいか最近は落ちている吸い殻の数が減っていた。やっぱり綺麗にしているとポイ捨てづらくなるものなのかな、善哉善哉と思っていた。

ところが、2月のある日の朝。

私は急いで外出しようとしていた。いつもはエレベーターで1階に降りるのだが、その日は運悪くエレベーターは1階で止まっていた。1階にあるエレベーターを自分のいる階まで呼んで降りるよりも非常階段を駆け下りた方がちょっと早い。私はエレベーターを呼ばずに非常階段を駆け下りた。

2階の踊り場まで来るとあるものが目に入った。

たくさんの吸い殻だった。

「そうきたか!」

と私は思った。いつも拾っていた吸い殻と同じフィルター部分が茶色で葉っぱの詰まっている部分が白い煙草だ(私は非喫煙者なので煙草の銘柄はわからない)。2階に住む小さな子どもが2〜3人いる若いお父さんかな。私の脳裏に煙草をくわえて自転車置き場にいた若いお父さんの姿が浮かんできた。本当にポイ捨ての主がその人かはわからないが、不思議と怒りは湧いてこない。「それでも拾ってやるぜ」とは思ったけど。

だが、ちょっと怖いなと思った。

ひとつは建物火災への恐れ。もうひとつは自分の身の危険への恐れだった。その人はもしかしたら真夜中にひっそりとごみ拾いしている私の姿をどこかから見ていたのかもしれない。それで喫煙場所を非常階段に移したのだろう。「もしかして私の自己満足は恨まれているかなあ」という心配が頭をもたげた。それと、ごみ拾い姿を誰かに見られていた恥ずかしさも感じた。

しかし、私は負けなかった。やはり夜中にこっそり非常階段の吸い殻も全部拾わせてもらった。

その後も急いでいて非常階段を使うことが何度かあったが、私が吸い殻を拾って以来、吸い殻が捨てられていることはなくなった。今度捨てられていたら百均で携帯用灰皿でも買ってプレゼント用のリボンを付けて踊り場に置いておいてやろうと半ば本気で考えていたのだが。

 

 

先日、スピリチュアル系のYouTubeを見た。どうやらその動画主さんもごみ拾いをしている方らしくコメントに「私も○○さん(YouTuberさん)の話を聞いてごみ拾いを始めましたが、どうしてポイ捨てするのかと思うとごみを拾いながら怒りが止まりません」というものがあった。

私は別にポイ捨てする人に怒りは感じない。あー、そういう人、そういう育ちの人なんだなーとは思う。間違ってもお友だちにはなりたくないけどね。もちろんその人たちがポイ捨てをするのを止めてくれればこんなに嬉しいことはないけれど。あとは何となくごみ拾いをどこか自分自身の修行のように捉えている部分もあるからかもしれない。それに昨年だったかエンゼルス大谷翔平選手がごみ拾いは誰かの捨てた幸運を拾っていると言っていたのを聞いてそれからごみ拾いが一段と楽しくなってしまったせいもある。けれど、大谷選手はすっごく幸運を拾っている感が漂っているけれど、私は変わり映えしないなあ。やはり拾った幸運を活かすにはほかにもいろいろやることがあるんだなあ。