活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

自分は自分にしか生まれ変わらない説

先日、輪廻転生や前世のことについて書いた。

そのことからもわかるように私はスピリチュアルやオカルトにも強く興味を持っている。

魂のことにも心霊のことにも古代文明のことにも宇宙人のことにも超能力にも興味津々なのである。

だからといってずっぽり頭まで漬かってしまっているわけではなく、「そんな不思議なことがあったら楽しいな〜」という程度ではある。好きでよくその手の本を読んだり番組を見たりしているが、盲信しているわけではない。けれど、目に見えないことについて考えるのは私にとってはとても楽しいことなのだ。空想万歳!

mori-meiro.hatenablog.com

輪廻のことについて書いたら、そこから派生していろいろ考えてしまった。

輪廻転生といえば前世は男だけど今世は女、前前世はローマ人だけど前世はサモア人で今世は日本人、みたいに次々と違う人間に生まれ変わっていくイメージではないだろうか?

最近では魂はあの世に帰ると他の人たちの魂とひとつになって、いまのあなたの成分と他の人の魂の成分が合わさって別人格に生まれる的なことをいわれているけれど、それは今回置いておくとして。

私が妄想したのは、自分は自分にしか生まれ変わらない説。

例えば私、ぺんぎん茶々丸だったら、何回生まれ変わってもぺんぎん茶々丸。死んだらまた同じ生年月日に生まれる。親もきょうだいも産まれた場所も全部同じ。ただ人生の選択は今世と違うものにできる。例えば、今世では○○高校に進学したが来世はもっと頑張ってそれより上の高校に進学して、もっといい大学へ行って今世とは違う会社に就職するなど、人間は同じだけれど違う生き方を何パターンも生きていく、というもの。自分だけの閉じた宇宙だけれど、親兄弟とは重なり合った宇宙でもあるなあ。父が別の人生を選んで母と結婚しなかったらぺんぎん茶々丸は生まれてこないかもしれないが、父の閉じた宇宙の中にはその選択肢があってもいい。何恒河沙くらい人生のパターンがあるかわからないけれど、無限にぺんぎん茶々丸を生きる。どうだろう?

もしそれが輪廻の真実だったら、爆発的に向上するために来世は頑張ろうと思った。

なんだ、それだと完全に今世を諦めているではないか(笑)。

しかも、生まれ出てきたとには前世のことや中間世のことを忘れているっていうから頑張りポイントも忘れてしまっているかもしれない。やばいやばい。

その上、この魂の乗り物(肉体)には体力なし、持久力なしという若干のハンデがある。そうするとまた冴えない人生にしてしまいそうだなあ。そう考えると、いろいろな国のいろいろな人に生まれ変わるというシステムは平等でもあるわけか。いつかは華麗な人生を歩めるときもあるかもしれないもんね。

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けれど、今世頑張らないと来世に繁栄されないだろうな。

頑張るというのは苦労するとか苦しむということではない。いかに楽しく生きるかということだと思う。それが証拠に絶対に前世も野球をやっていたといわれるイチローさんも大谷翔平選手も将棋の藤井聡太三冠も、みんな楽しそうにやっている。他人から見たらすごい努力に見えることも、彼らには楽しくて楽しくて寝食を忘れるほどなのだと思う。自分も今世でそういうものにめぐりあいたいと思う。もう若くないんだけれど。