活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

「名は体を表す」は「人間は呼ばれたように育つ」

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名は体を表すは本当だなあと人生を通してずっと思っている。

そう考えるきっかけになったのは自分の幼い頃からの呼ばれ方で、私はその通りに育った。

私は幼児の頃、いや、多分乳児の頃から家族に「ちび」と呼ばれていた。

いまでは考えられない呼び方かもしれないが、昔はきょうだいの一番下の子は「ちび」と呼ばれることも多かった。私も末っ子なので自然に「ちび」と呼ばれるようになっただけだ。

祖父母や両親は他所様に私の話をするときには「うちのちびが」と言い、ご近所のみなさんも私のことを「ちびちゃん」と呼んだ。

「ちび」「ちびちゃん」と呼ばれて育った私はその通り、身長が伸びなかった。保育園や学校で背の順に並ぶとずっと前から3番目以内で、小学校4年生か5年生の頃に少しの間前から3番目以内から外れただけで、身長150センチまでにしか育たなかった。ちなみに私が生まれたことで自動的に「お姉ちゃん」と呼ばれることになった姉はやはりちゃんとお姉ちゃんらしく育ち「The お姉ちゃん」と言ってもいいほど面倒見のよいお姉ちゃんになった。

ということで、やはり「名は体を表す」というか、人間は呼ばれたように育つとどうしても思ってしまうのだ。

 

最近はまた「名は体を表す」だなあとつくづく思うことが増えた。それは将棋の藤井聡太三冠と米大リーグ ロサンゼルス・エンゼルス大谷翔平選手の大活躍だ。

藤井聡太さんの「聡」という字の意味をデジタル大辞泉で見てみると

1 理解・判断が的確で速い。賢い。

2 感覚が鋭い。敏感だ。

とある。まさにその通りの人が藤井聡太三冠だ。

 

また、大谷翔平選手はお父さまが「地元の奥州平泉にゆかりのある源義経にちなんで、義経の戦うときに飛ぶイメージから「翔」の字を用い、平泉から「平」を取って名づけられたそうだが、まさしくひらりと舞うように或いは空を飛ぶように美しく迫力のあるプレーで私たちを楽しませてくれている。

そうだ、もうひとり思い出した。

フィギュアスケート羽生結弦選手もお父さまが「弓の弦を結ぶように凜とした生き方をしてほしい」との願いを込めて名づけられたというが、羽生選手もまさにその通りの生き方をしている。

名前とは斯くも大切なものなのかと驚嘆するばかりだ。

 

一方、「ちび」と呼ばれて無事に小さな大人になった私は本名に大した意味はない。

けれど、名前にはその人の使命や今世での課題が現れているという説がある。

私の名付けをした父は当時の流行りの名前をつけただけでそれほど深い意味や祈りは込めなかったらしい。しかし、名前がこの人生の使命や課題を表しているとすればそれは何だろうと自分で考えた。ここで本名を打ち明けるつもりはないので詳しくは書かないが、私の名前は私の人生に欠けているものを表していた。例えば「愛子」なら「愛」が足りないみたいな感じで。そうか、これを乗り越えていけばいいんだな、と思った。

また、ひすいこたろうさん、山下弘司さん共著の「名前セラピー」には「名前のことだま五十音」が紹介されているが、それを読むと自分の名前の最初の文字の意味は本当に自分そのものだった。

名前のことだまというのは「50音ひとつひとつに意味があり、それが名前に影響を与えている。名前を解き明かすことで、その人の役割、氏名がわかるのです(「名前セラピー」より)」というもの。言葉には不思議な力があると日本人なら実感できる人が多いのではないか。万葉集にも日本は「言霊の幸わふ国」「言霊の助くる国」とある。

 

「名は体を表す」とは名前はそのものの実体を表しているという意味だが、人間の名前は呼ばれているうちにその通りになっていくと考えられると思う。人間は呼ばれたように育つのだ。

 

さて、今日のこのブログを書くに当たって「じゃあ地名もそうだよな。昔の人は危険が潜む土地にはちゃんとそれを表す名前をつけていたし」と思い当たってググってみると、なんと4番目に我が故郷長野県のサイトの「災害に関わる地名(全般)」があった。

www.pref.nagano.lg.jp

これは長野県だけに伝わるものだけでなく、全国にも通じるものだが、自治体でこんなこと発表してくれるのはすごいなと思う。県内のどの地域にこの災害に関わる地名があると書いているし。潔いというか、県民を思う心の表れだろうか。

現在は横文字のハイカラな地名や駅名は災害に関わる地名を変えた場所だから危ないと知られているが、やはり土地の名前もちゃんと「体」を表している。

 

ちなみに、以前「塚」という字の付いた場所に住んでいたことがある。塚というのはお墓や古墳があった場所、といわれているので調べてみたら平安時代にちょとした戦闘があってそれで亡くなった人の亡骸や武具を納めて弔った場所だった。本当に地名すごい。