活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

真夜中の密かな愉しみ

私には週に2回、真夜中に外で密かに行う愉しみがある。

東京は夜遅くても通行人がいるから、せめて終電が終わってからでないとできない愉しみ。そう、そのときの姿はできれば誰にも見られたくない。

夜中の2時頃、私は静かにドアを開けて外に出る。東京のこのあたりは人や車がまったくいなくなることはほとんどない。だから私はドアを開ける前に心の中で呪文を唱える。「今日は誰にも会わない」と。自分が会わないと決めれば誰にも会わない。それが引き寄せの法則だ。

エレベーターに乗り込みマンションの1階に向かう私の片手にはごみ袋、もう一方の手にはトングが握られている。そう、私の真夜中の楽しみとは燃やせるごみの日の前の晩に行うごみ拾いなのだ。トングはごみ拾いのためにわざわざ100均で購入した。以前、何も入っていない透明なビニール袋を素手で拾って右手がパンパンに腫れあがってしまったことがあり、これは絶対にトングが必要だと思った。そうまでしてごみを拾いたい。

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昨今、ロサンゼルス・エンゼルス大谷翔平選手がダグアウトや球場のごみを拾うことで話題になっているが、私がごみ拾いを始めたのは大谷選手の影響ではない。いまから10年以上前にカレン・キングストンの「ガラクタ捨てれば自分が見える」を読んで掃除に目覚め、ガルスピちゃんねるというまとめサイトで掃除についての2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のまとめ記事を読んで掃除に対するモチベーションが上がって始めたのだった。ガルスピちゃんねるのまとめ記事の中に自分が掃除した場所は「霊的支配ができる」という考え方があり、すごく面白いと思った。いままでどことなく馴染めなかった場所(新居や職場)が掃除によって自分に馴染んでくるというものだ。別の言葉に言い換えるとオーラマーキングだろうか。家具や装飾品をプラスするのではなく、整理整頓や断捨離、掃除によってその場を自分色に染め上げていく。それにより獲得される居心地のよさ。ただ単に衛生的なだけではない掃除の奥深さを感じる。

 

真夜中のごみ拾いには自分の部屋の中だけでなく自分の住んでいるマンションごとクリアリングして全体的に運勢を上げていこうという魂胆も多少はあった。大谷選手はごみを拾うことは誰かの捨てた運を拾うことだと考えているそうだが、そういう風に考えたことはなくて目から鱗だった。しかし、ごみを捨てる側を考えると、その辺にごみを適当に捨てて他人様に迷惑をかけるということは確実に運を捨てていると思う。ついでに書いておくと、私はごみを平気でポイ捨てする人たちはトイレの後お尻をきれいに拭けていないのではないかと考えている。自分が出した汚いものを平気で人に始末させるような、ごみをばらまいて平気な精神構造の人が自分のお尻をきれいにできるとは思えない。ごみすら捨てられないのに自分の始末ができるのかと。わかるかな、このニュアンス。

 

汚い部屋はそこに住む人の精神状態を表している。部屋の中がゴチャゴチャしていると視界にその乱雑さが入り脳が疲弊するといわれている。その逆も然り。心が散らかっているときには部屋も散らかり放題になる。その考え方を広げていくと割れ窓理論になる。空き家の窓ガラスが割られたまま放っておくと次々とガラスが割られ、その地域の治安はどんどん悪くなっていく。ごみもうち捨てられたまま放置しておくとそこにどんどんごみを不法投棄されるようになる。そんな場所の治安が保たれるはずがない。

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私の家は繁華街に近いので真夜中に叫ぶ酔っぱらいがよく出没して治安がいいとは言い切れない。マンションの前に自動販売機が並んでいるせいで空き缶やペットボトルを入れる専用のごみ箱に家庭ごみや弁当のごみ、ブーム全盛期にはタピオカのプラスチックカップが中身入りのままたくさん詰め込まれ、街路樹の下にまで汚らしいごみがあふれ出ていた。マンション横の小路には夥しい数の煙草の吸い殻が捨てられている。このまま放っておいたら街は荒廃していくことになるだろう。私は自分が住んでいる場所に割れ窓理論のような状況を作りたくなかった。週に2回だけではあるが、私は真夜中にひっそりとごみ拾いを始めた。

そのせいかどうかわからないが、最近はごみが減っているように思う。いや、きっとコロナ禍で外出する人が減ったせいで平気で道端にごみを捨てる輩も出歩かなくなったのだろう。

 

そして私は今日とてもいいことを思いついた。

私は長年、外出先から帰ってきてマンションの前に落ちているごみが気になってもトングとごみ袋を持っていないため拾うことができないという問題を抱えていた。部屋に戻ってトングとごみ袋を持ってくるのは誰も見ていないのにいい子ちゃんぶっているみたいでしっくり来なかった。いつも「あ〜、せっかくごみが落ちているのに拾えなかった」と残念に思いながら部屋に帰っていた。そして、なんとかエントランスに自分専用のごみ拾いグッズを置いておけないものだろうかと長年考え続けていた。

そして、ついに私はひらめいた。それならば集合ポストの自分のボックスに使い捨ての手袋と小さなごみ袋を常備しておけばいいじゃないか、と。数枚入れておくだけなら郵便物の邪魔にもならない。どうしていままで思いつかなかったのだろう。それでも人目がないとき以外は拾わないという姿勢に変わりはないだろうが。

 

そんなこんなで私のごみ拾いライフは続く。大谷選手のように素晴らしい運を手にしているかどうかわからないが、ほんのわずかでも誰かの役に立っているかもしれないからよしとしよう。