活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

【訂正】レジ袋と古着 地球のことを考える

※私の認識の一部に誤りがありましたので訂正しました。

レジ袋有料化は小泉進次郎環境大臣が推進したわけではなく、その前任者の原田義昭氏と世耕弘成氏が推進したものでした。本文中、赤字で訂正させていただきました。小泉進次郎さん、申し訳ありませんでした。

 

今日は地球の環境のことで書きたいことがふたつある。

ひとつはレジ袋のこと。

もうひとつは古着のこと。

どちらも私にとっては頭を悩ませることが多い問題だ。

 

 

 

無料レジ袋 復活を願う

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2020年7月1日、レジ袋有料化が実施された。小泉進次郎環境大臣の肝いりで

当時の世耕弘成経産大臣と原田義昭環境大臣が中心となって推し進めたものだ。

私はこれには最初から賛成できなかった。理由はひとつ。ごみを捨てるのにわざわざ新品の、まっさらな、何の汚れも罪もないビニール袋を使うのがとても悲しくて嫌だったから。

うちではごみ箱の中に使用済みのレジ袋をセットしてそこにごみを捨てるようにしていたし、東京都は指定ごみ袋がないのでごみ捨て場に捨てるときも使用済みレジ袋を使っていた。使用したレジ袋をごみ袋として活用してあげた方がレジ袋も成仏するに違いないと思っているし。だからまだ一度も使っていないのにごみ袋にされてしまう袋が気の毒でしょうがない。私は身の回りにある品物が単なるモノに思えずに頭の中で擬人化してしまうというか八百万の神がそこら中に宿っていると考えてしまうタイプなので、単なるビニール袋だというのに生まれたばかりの命がすぐに死んでしまうような感覚になってしまって、新品をごみ袋にするのが苦手なのだ。だからいつもごみ箱にセットするときもごみ置き場に持っていくときも「ありがとう、ありがとう」とビニール袋さんに声をかけてしまう。

そんな風なので100鈞でレジ袋型のビニール袋を買い、それをスーパーに持っていき買った商品を入れていたのだが、これがあまり丈夫じゃないのだ。荷物を入れて歩き始めると取っ手部分が伸び始めて手に食い込む。伸び始めるということは袋の底と地面の距離が近くなるので非常にヒヤヒヤする。そして「この袋、家までもつのか!?」ととてもハラハラするのだ。なので私もビニール袋ではなくマイバッグを使い始めた。これはこれでいかに衛生的に使うか、またスーパーのサッカー台の上に置いて荷物を詰めるのでウイルスも気になる。他人様より少々神経質な私は買ってきたものもいちいち消毒しているのでもちろんマイバッグもその度に消毒することになり大変手間だ。

元中部大学教授の武田邦彦さんもごみを捨てるために有料のごみ袋を買うという矛盾を指摘したり「ポリエチレンでできたレジ袋をできるだけ使うようにして、ポリエステルを節約することが環境的には大切」と仰っていることもなるほどと思う。

www.mag2.com

昔うさぎとふたりで暮らしていたが、毎日のトイレ掃除でも使用済みレジ袋は大活躍していた。いまうさぎがいたらちょっぴり懐が痛んだだろうなと思う。

 

お店側でも万引きが増えたというし、コンビニやドラッグストアのレジ待ちの行列は長くなったし、いいことなんてあったのだろうか。有料化対象外の袋もあるのに多くの店が袋の有料化に踏み切ったし、紙袋まで有料化した店もあった。それで万引きが増えたといわれても……という気持ちになることもあった私の中で、有料化対象外の袋を使っていたお店は評価が上がった。もちろん万引きは犯罪で犯人の味方をするつもりも庇うつもりも毛頭ない。

昔々はスーパーで買い物をすると買ったものを無料の紙袋に入れていた。それが森林伐採が問題だとしてビニール袋になったらしい。森林伐採が問題だといっても今や日本全国で手入れができずに荒廃している山も多い。もしも紙袋が有効に使われていたら、間伐材で作っているのにもったいないと目の敵にされた割り箸も有効利用されていたら、日本の林業もいまよりも少しくらいは発展していた、もしくは人手に困ることはなかっただろうか。それとも、日本人はそういう肉体労働を嫌って結局、中国に発注していたのだろうか。よくわからないけれどいろいろな政策が目の前のことしか見ていなかったなと感じることがある。環境大臣も交代することなので、レジ袋有料化を撤廃してはもらえないだろうか。レジ袋を無料に戻してほしいという声はネットでも多く見受けられる。

レジ袋を有料化するより前に、外国でレジ袋などのプラスチック系ごみが問題になっているのならば環境大臣として日本のごみ焼却場の素晴らしいシステムをそれらの国に営業してほしかった。日本のごみ焼却システムは高性能。ビニールやプラスチックをちゃんと焼却することもできるし有害なガスもほぼ出しません、と。実際、公害防止設備により窒素酸化物、硫黄酸化物、煤塵、ダイオキシン類などの厳しい排ガス規制をクリアしているため、ごみ処理施設は渋谷のど真ん中で稼働している。この素晴らしいごみ焼却施設は日本企業がシンガポール、台湾、タイ、中国に納入している。アジアだけでなく世界に広がればいいのに。

プラスチックやポリエチレン、ポリエステルを無駄に消費してはいけないが、レジ袋を迫害までしなくていいと思うの。迫害するより前にレジ袋もストローもペットボトルもポイ捨てするなと教育しないと、海も山も川も街もごみだらけという状況は1㎜も変わらないのではないだろうか。野生動物が食べても紙ならビニールやプラスチックよりもマシかも知れないし自然分解されるかもしれないが、人間の教育も大切だ。

 

古着を発展途上国に送ること

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私は子どもの頃から太りやすい。いまもすくすく横に成長しているため着られなくなってしまった洋服が結構ある。まだ姪っ子が子どもだった頃はお下がりで着てもらっていたが、お年頃になったのでそれは止めた。やはり一定の年齢になったらお下がりよりも自分で好きな洋服を選んだ方が人生楽しい。

そして、レジ袋の件でばれたと思うが、私はものを捨てるときに心が痛む質だ。洋服も大事に着ていて全然傷んでいないものを処分するのは心が痛む。そこで以前は発展途上国に送ることを真剣に考えていた。何度も考えた。ネットで送り先も調べた。しかし、まとまった数がなくて送れなかったり、枚数があってもボランティア団体の方で「いまは募集していません」というときもあった。洋服も傷むまで着てもらえれば幸せだし、衣類をなかなか買うことができない人たちの役にも立てるんじゃないかと思っていたのに。

しかし、今朝、Twitterで「寄付した古着が実は発展途上国のアパレル産業を苦しめている」という内容のツイートを見てハッとした。そうか、自分はその国の実情を何も知らずに自己満足だけで動こうとしていたのだと。

mag.sixty-percent.com

私は寄付した古着は支援団体から洋服がなかなか手に入らない人たちに届けられると思っていた。しかし実際は違って、多くはインドや東アフリカなどの市場で転売されているのだという。こんなところにも転売ヤー

転売されお安く手に入れられる大量の古着は、後進国のアパレル産業に大打撃を与えているのだった。古着よりも高い新品を着る人は少ないのだそうだ。それでは産業が育つはずがない。

また、古着がもらった人の迷惑になるという話を10年前に日本でも聞いたことを思い出した。東日本大震災などの大きな震災があると古着を支援物資とすることもあったが、それは被災された人たちにとって結構な迷惑だったという話だ。何もかもなくしてしまった当初の着替えの1枚も手に入らないときには役に立つが、それ以降は保管するだけでも大変だったと。中にはとても着られないようなボロボロの衣類を送った人もいたとワイドショーでやっていた記憶があるが、それは本当だったのだろうか。

自分では親切心でやっていたことも相手の実情を何も知らずに行えば独善でしかない。

ちなみに私は先日も年齢に合わなくなったデザインの洋服を処分した。寄付はせずに一部はお礼を言いつつ燃やせるごみとして処分し、一部はモードオフに持っていった。ノーブランドなので持っていった枚数に対して100ウン円という破格の安さだったがここは値段ではなく傷んでいない洋服を誰かが使ってくれることが大事だった。しかし、これが頑張ってボランティア団体を探し出して途上国に寄付していたとしたら、今朝のTwitterを見てかなり凹んだと思う。間が悪くて寄付できなかっただけなのに、他国のアパレル産業に打撃を与える片棒を担がずに済んだことは幸いだった。

 

本当に地球の環境のためになること、人のためになることとは何なのか。未来のことを考えて、相手の実情を知って行うことが大切だと改めて考えた1日だった。