活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

戦争の遺族感情

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キャスターっぽい人が103歳の元日本兵の方にした質問で炎上したニュースを見ていて、かつて聞いた戦争体験をいろいろ思い出した。

 

中学の時の数学のおじいちゃん先生はいつも歩くときに教科書を胸の前で抱えてゆっくり歩いていた。どんな時も教科書を手放さない。

ある授業のときに先生はその理由を教えてくれた。

先生は兵隊だったときに重い肺の病気になり、肺を摘出しなければいけなくなったのだという。そして戦時中のことだから麻酔も何もなしに胸部を切り開き肋骨を切断して肺を摘出した。痛みのせいで何度も何度も気絶するが、気絶すると「死んでしまうぞ!」と頬を叩かれて起こされ、また気絶して……とこの世のものとも思えない地獄を味わったそうだ。

「だから廊下を歩いていてお前たちが遊んでいたボールか何かが胸に当たると死んじゃうから私はこうして胸を隠しているんだよ」

そんな風に言っていた。

また、先生は戦時中は戦艦に乗っており、敵の戦闘機に空中から弾丸を浴びせられたことがあったときの話もしてくれた。上から攻撃されるのだから船の中へと逃げるしかない。甲板から艦内に逃げ込むときに一緒にいた友だちの頭が弾丸で吹き飛ばされてしまった。「それなのに自分は助かってしまった。すぐ側にいて自分にも当たっていても不思議ではなかったのに……」。先生はこの頭を吹き飛ばされてしまった兵隊さんのことを「友だち」と言っていたので、本当に仲のよかった戦友だったのだと思う。単なる知り合いだったとしてもショックを受けるだろうに、友だちだったらなおさら苦しい。それでも男子がそのときの様子をもっと詳しく聞きたいとねだると先生はそのときのもっと詳しい描写とご遺体をその後どうしたかというお話も淡々としてくださったと記憶している。

本当につらい体験で、いま思えばよくお話しをしてくれたなと思う。もしかしたら自分も麻酔なしで肺を摘出するという痛みに耐えたからこそ罪悪感がいくらか減ってお話ししてくれる気になったのかもしれないし、子どもたちに戦争を2度とさせたくないと願ってお話しくださったのかもしれない。

 

幼い頃に空襲の体験談も聞いた。名古屋大空襲だ。

祖母はその頃名古屋に住んでいた。あの大空襲のとき、5人の子どもを連れて炎のなかを逃げ惑ったそうだ。立派なお屋敷に住んでいたがそれは丸焼けになり、家紋の入った乳母車も当時は高価でめずらしかった娘たちのお人形も大切なものはみんなみんな焼けて灰になってしまったという。長男に下の妹ふたりの手を引かせ、自分は乳飲み子とその上の娘の手を引き、生活のために必用なミシンだけは失うまいとミシンを担ぎ無我夢中で逃げ、子どもたちの目に灰や火の粉が入って見えなくなると着物の胸をはだけて乳を取り出し、母乳を絞って目を洗ってやったと言っていた。赤ん坊がいて大変だったが、母乳が出ていて助かった、と。

逃げ惑っているときには気づかなかったが、火の手が収まると炭になった人間があちこちにゴロゴロ転がっていた。人間の形をした炭がそこら中にある。そういうご遺体の間を歩かなければならなかった。防火水槽に頭から突っ込んで亡くなっている人もいた。

そんな話を泣きながら話してくれた。この話は何度も何度もくり返し聞かされたが、祖母は話すたびに涙を流した。

まだ小学校に上がる前から私はそういう空襲の体験を聞かされたのだった。空襲警報が鳴ると防空壕へ逃げ込まなければならない、そんな話を聞いて幼児だった私は飛行機の音が怖くて嫌いだった。本気で庭に防空壕を作ってもらわなければと考えていた。

この祖母は広島の原爆でお姉さんをひとり亡くしている。

私の父方の祖父も東部ニューギニアで戦死している。

 

キャスター的な人が「Newseeek日本版」に寄せた手記は「なぜ私が戦争について取材をし、伝えなければならないと思っているのか。それは、私が遺族だからです」という書き出しではじまっているが、そう考えると私も彼と同じ戦争の遺族だ。

 

news.nifty.com

上に貼ったリンクの記事はキャスター擁護の記事になっている。

あの心ないと世間で注目を浴びた質問をすることで「戦争はしちゃいけないということをですね、一番身をもって知っているのは、私たちだと思っています」

という吉岡さんの言葉を引き出すために仕方のない質問の言葉だった……的なことかな?

 

昔のテレビがよく使った手法ではある。相手の気持ちを引き出すためにわざとカチンとくる質問をぶつけるというやり方は。けれど、そこだけ時代は変わらなくていいのかと思ってしまう。キャスター的な方が件の質問をした箇所を編集でカットしなかったということはディレクターもプロデューサーもその質問をぶつけて苦しむ103歳元日本兵を見せることが最善だと考えたのだろう。「戦争はしちゃいけない」という言葉を引き出すために人間の尊厳は踏みにじってもいいのかな。日本中に戦争大好き人間が溢れているならその手法もわかるけれど、いま戦争をやりたくてウズウズしている人なんているのかな?みんなの身の回りにいる?確かにいま世界はきな臭くて危ないなと思うけれど、どちらかというとそれは日本国内ではなく日本にミサイルを向けている国の問題が大きいと思うんだけどな。

昔は仏間に軍服を着た人の白黒写真=戦死した家族の遺影を飾っている家が多かった。櫻井さんも私も戦争の遺族だけれど、私たち以外に日本中に戦争の遺族はあふれている。それでもみんな最前線にいた元兵士に「殺してしまった感覚は?」とは聞かない。使命感がないから聞かないんじゃなくて、推し量って聞かない。気持ちがわかるから聞かない。私も戦地から無事に復員できた方の祖父に「おじいちゃんもアメリカ兵殺しちゃった?」とは一度も聞いたことはない。祖父は戦争は2度としてはいけないと心から思っていたことを私は知っている。

 

おーっと、今日はもうキャスターっぽい方のことは書くまいと思っていたのについつい書いてしまった。「私が遺族だからです」とかお書きになるから触れざるを得なくなってしまった。もう日本中の人から責められているから自分まで責める必用はないと思っているのに。これが遺族感情というものだろうか。

 

下に貼った本のリンクは私が実際に読んで心に留まった戦争に関する本です。どれもノンフィクションです。

よかったら読んでみてください。