運動神経が存在しない
今日は箱根駅伝の復路だった。
学生のみなさん、早朝からご苦労だなあと思いつつ暖かいお布団の中で観戦した。我が母校の後輩たちも頑張っていた。まあ、私は生来の運動音痴なので在学中に陸上部なのか駅伝部なのかとも全然接点もなかったが。
そう、何が苦手って私は運動がとても苦手。よく運動音痴というけれど、自分の中には運動神経そのものが存在していないとさえ思ったものだ。それに体は丈夫だが持久力がない。あきれるほど持久力がない。なのでジョギングはおろかマラソンも考えるのも怖い。きっと駅伝なんか練習すら絶対について行かれない。1分でを音を上げるだろう。
そんなだから本当に体育の授業は拷問のようだった。走る、といっても体をどのように動かしたらいいのかわからない。走るには走れる。けれど多分、正しく体を動かすことはできていない。一体どうなっているのかは自分でもよくわからない。
ただし、自分でも「もしかして運動できるんじゃね?」と感じたことはあった。
それは社会人になってからなりゆきでどうしても義務としてバレーボール大会なるものに出なければいけなくなったときのこと。あのときは本当に憂鬱だった。何が憂鬱かというと団体競技はチーム全員に迷惑をかけることだ。私は周りの人に
「知りませんよ、本当に知りませんよ。サーブなんて打てませんよ、ボールだって拾えませんよっ」
と予め言っていたのだが、みんなは謙遜だと思って
「はいはい、わかったわかった。大丈夫大丈夫」
と全く聞く耳を持ってくれなかった。
そして迎えた大会当日。
あれ?
なんか違う。
あれ?こんなんだっけな?
ということでなぜか私はサーブを入れることもできたし、レシーブもできた。
一体これはどういうことなのだろう?
青学が優勝して原監督のインタビューを見たときにこれら一連の出来事を何故か思い出し、社会人になってからのバレーだけはかろうじてできた理由が何となくわかった気がした。
原監督は選手にとても優しい。厳しいところもあるだろうが学生の人格を否定するようなことは決して言わないだろう。
私は小学生になってからあまり運動ができないことを先生にすごく傷つく言葉で指摘された。体育のたびにそんなだから余計に身体が動かなくなる。先生がそんなだからクラスメイトにもからかわれる。だから心も体も萎縮して元々苦手な運動がどんどん苦手になっていったのではないだろうか。社会人になってからのバレーボールはその呪いが少し解けていたのかも知れない。毎日体育で罵られるわけじゃないから。
ただし、まだ会社員だった頃、社員みんなでボウリングに連れて行かれたときに歩きながら球を投げるという芸当ができなくて、見るに見かねた隣のレーンで颯爽と投げていた全く見ず知らずのおじさんに指導をされたうえ、その指導通りには全くできなかったことも告白しておく。