活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

誰かの捨てた幸運を拾う

f:id:pengin-dou:20220124225935p:plain

 

先日も夜中にこっそりごみ拾いをした。

かなり遅い時間だったのをいいことに少しテリトリーを広げてみたが、そこはいつもガラの悪そうな車が違法駐車しているような場所で、夜通るのはちょっと嫌だなと思うような道。そんな場所だから、まあ、獲物の多さに驚いた。道路一面が吸い殻だらけだった。多分、社内の灰皿をそのままひっくり返して道路に捨てたのだろう。というかまるで節分の豆まきのように撒いたみたいだった。それのみならず、袋に紙屑やティッシュのごみ、液体風邪薬の瓶などを入れたものまで投棄してあった。隠れた場所でも道の端っこでもない。堂々と人目につく場所に捨てていったのだ。ティッシュと液体風邪薬って「コロナかよ!」とびびったが、私は誰かが捨てた幸運を残らず拾うことにした。そう、ごみのポイ捨ては幸運を捨てるような行為なのだ。

 

マンションのごみステーションに戻って常識のない人が道端に捨てていったごみの分別をしながら気づいた。いままでも道端に不法に捨てられたごみは何度も何度も目撃しているけれど、それらは一体誰が処分してくれていたのだろう?町内会の人?近所の人?ごみを捨てられてしまった道に建っている家の人?本当にイヤだっただろうな、やるせなかっただろうな、怒りをどこにぶつければいいのかわからなかっただろうな、とすごく心が痛んだ。私はと言えば誰かが捨てた幸運を拾ったような気持ちでいるから微妙にワクワクした気持ち半分と、こんなに幸運を捨ててしまってごみをまき散らした奴の行く末を考えて怖い気持ちが半分。

 

怪談説法の三木大雲住職が法華経を広める人のところには変化の人(へんげのひと)が現れてピンチを助けてくれる、お坊さんじゃない人たちは徳を積むこと。徳を積むと変化の人が現れるというお話をされていたが、ごみを捨てて人に迷惑をかけるような、徳と反対のことをしてしまっている人はどうなるんだろう。自分は全く良心も咎めず平気でやっているのだから案外何も悪いことは起こらないかもしれないけれど。何しろ悪いことをして地獄へ落ちるのは心の中に罪悪感があるからだという説があるから。ま、あの世の本当の仕組みは誰にもわからないけどな。ただ、人に迷惑をかけるような行動を日頃からするような人は周囲とのいざこざも絶えないだろうから幸せではあるまい。生活態度に苦言を呈されることも多いだろうし、身勝手さに呆れられて人が離れていってしまうことも多いだろう。ていうか、以前も書いたかもしれないけれど、こうやって自分のごみもちゃんと片づけられないような人は絶対に自分のお尻も綺麗に拭けていないよね。絶対にパンツ汚れているはずだ。お洒落で高級なブランド服を着ていてもだ。

 

それにしても、やっぱりガラの悪い道は汚かった。いや、汚いからガラの悪い車が集まっていたのか。破れ窓理論だな。