活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

災害と電話番号

f:id:pengin-dou:20220313220309p:plain

先日、災害時の備えについて取り上げてるテレビ番組をちらっとだけ見た。

非常持ち出し袋の中身は自分や家族に合わせてアレンジした方がいいとか、災害時に使うトイレや機材などを実際に使ってみた方がいいという話をしていた。それも大切だけれど、もうひとつ盲点だなと思った話もあった。それは災害時にスマホが使えなくなる話だ。実際に停電か何かで電車も止まりスマホも使えなくなったときに塾帰りの小学生たちがとても困ったというのだ。子どもたちは現金を持ち歩いていないのに停電のため電子マネーは使えないし、みんなでタクシーで帰宅しようと持ってもタクシーで電子マネーが使えるかかどうかもわからない。しかも、家族に助けを求めたくても通話機能自体が使えない。大人なら公衆電話を使えばいいじゃないと気づくが、小学生たちはどうやら公衆電話というものの存在を認識していなかった。後日取材で、ひとりの女の子がお母さんと一緒に公衆電話を使う練習をしたが、そのときにお母さんが公衆電話からの着信を拒否していることが発覚。これではもしもスマホが使えても連絡が取れなかった。

一口に被災と言っても備えなければならない食べ物も薬も、そして行動も人によって違いがある。子どもだけのときに被災するのも大変だし、小さな子ども抱えた親御さんも大変だ。

自分は子どもではないし子どももいないけれどこの路頭に迷う子どもたちの再現シーンを見ていて「!」と思ったことがあった。私は家族や友人の家の電話番号がひとつも頭に入っていない。もしも災害時にiPhoneが壊れてしまったり電池が切れてしまったらどこにも連絡できないではないか。

私は数字が上手く認識できない。ということは覚えられない。自分の電話番号はいろいろな書類に嫌と言うほど書いたから頭に入っているが、家族や友だちの電話番号はiPhone任せだ。それでもいざというときに備えて1か所くらいどこかの番号を覚えた方がいいかもしれない。

そんな私にも、たった1か所だけ、幼児の頃から覚えている電話番号がある。それは祖父の家の電話番号だ。「○○局の○○○○って言ってみなさい」とまるで九官鳥に言葉をおぼえさせるように伯母に何度も何度も言わせられたから頭に染みこんでいるのだ。伯母は私が言えるようになるまで何度も言わせた。何かあったらちゃんとここに連絡できるようにとの伯母なりの姪に対する愛情だったのか躾だったのか。ただし、かなり以前に祖父も亡くなって祖父の家もない。せっかく覚えている電話番号は使えない。

他にも義務教育時代の同級生の家の電話番号で覚えているものがふたつみっつあるが、それはここには書けないような、よくそんな縁起の悪い数字ばかり並べたなと感心するような、とても悲惨な語呂合わせなので覚えているだけだ。これらの同級生とも卒業とともに疎遠になったので災害時に電話をかけられるような相手ではないし、そもそもまだその番号を使っているかもわからない。

けれど、語呂合わせで電話番号を覚えていられるならその手で家族の電話番号だけでも覚えてみるか……と思ったがそもそもそんな語呂合わせができるような番号だったらすでに覚えているか。いや、スマホが登場して以来、スマホ同士で同期するだけだから番号なんて碌に見ていないな……。

とにかく非常時への備えは揃えたつもりになっただけじゃダメだなと思った。

そうだ、小さなアドレス帳とテレカか100円玉でも備えておくか。