活字の森 思考の迷路

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「ありがとう」を唱えることに効果はあるか

「ありがとう」をたくさん唱えると「ものすごくしあわせになる」「お金に困らなくなる」という話がある。まずは心をこめられなくても機械的に「ありがとう」と唱え続けるだけで効果があるのだと。

おそらくこれを最初に言い始めたのは作家で人間の潜在能力や超常現象などにも造詣の深かった小林正観さんだと思う。小林正観さんの宇宙論によるとありがとうを唱え続けると次のような変化があるという。

  • 25000回 第1ステージ。違う世界が来るらしい。涙がどっと溢れて2〜3時間泣き続けるらしい。それまで心を込めて唱えていなくてもこの数を超えると心の底から「ありがとう」が出てくるらしい。
  • 50000回 第2ステージ。
  • 10万回 第3ステージ。
  • 50万回 第4ステージ。
  • 100万回 第5ステージ。
  • 1000万回 第6ステージ。
  • 1億回 第7ステージ。1億回を超えるとお金の心配、経済の心配がいらなくなる。

確か25000回からだったと思うが、ありがとうと唱え続けていると見るものすべてが美しく輝いて見えるようになるという。それを正観さんは悟った瞬間なのだと言っていたと思う。ただし、悟りと言ってもブッダのようにずーっと悟りっぱなしというわけではない。それまで心にこびりついていた汚れのようなものが落ちたということなのかもしれない。

実は私はこれと似たような経験をしたことがある。私の場合は「ありがとう」ではなく「南無妙法蓮華経」を唱え続けた。その当時、私は大きな悩みを抱えていた。祖父母が熱心に日蓮を信仰していたため幼い頃から何かあったらお題目を唱えれば解決すると教え込まれてきた私は、そのとき1日3時間(約18000回くらいか?)題目を唱えようと決めたのだった。それで移動時間や頭を使わなくていい作業のときにずっと心のなかで「南無妙法蓮華経」と唱えていた。車を運転していても「南無妙法蓮華経」。キャベツを刻んでいても「南無妙法蓮華経」。掃除をしていても「南無妙法蓮華経」。仕事の合間にも「南無妙法蓮華経」。街を歩いていても「南無妙法蓮華経」。1日3時間だからそのくらいしないと完遂できない。しかし、それが2週間も続くと文房具だろうが食器だろうがごはんだろうが、見るものすべてが本当に輝いて見えてきて感動した。生きているのが楽しくなった。およそ1ヶ月位そんな生活をしていて、悩みが解決して題目を唱えなくなったら見える景色もいつも通りに戻った。しかし、唱え続けた結果、生活はガラッと変わった。あっという間に好転したといっていい。いまも悩みに苛まれているのでそのときのことを思い出して1日中題目を唱えようかなと思ったりするが、なぜか実行していない。あのときのパワーはどこへ行ったのだろう……。そう、唱え続けるためには心身ともにかなりのパワーが必要なのだ。

 

また、一方で斎藤一人さんは「ありがとう」を唱え続けてもそれが通じない日が来ると言う。「ありがとう」はいままで「ありがとう」も言えなかったような人が言うから神様や周りの人が喜ぶことでいいことが起きるが、「ありがとう」を言うのは当たり前のこと。マラソンで言うとスタートライン。だから「ありがとう」を唱えてしあわせが来る効果がなくなる日が来るのだと。「ありがとう」と言われる人になるのがゴールなのだそうだ。

そんな一人さんはある日夢の中で神様から「ありがとうゲーム」というものを教わったという。1日4回以上「ありがとう」と言ってもらうゲームで、月に100回以上言ってもらうのが目標なのだという。「どうも」とか「すみません」じゃ駄目で「ありがとう」じゃないといけない。それが何を目指しているのかというと、ありがとうと言うばかりじゃなくてありがとうと言われる生き方をしていきなさいということなのだと思う。「ありがとう」を言われる人生を送っていくと人生が開けるということなのだ。

一人さんはありがとうを唱え続けることには少々手厳しく、「おれの知り合いにありがとうをずっと唱えている人がいるけどそいつ嫌われてるよ」というようなことを仰っていた。その人が嫌われるのはありがとうを唱えることへの執着心が原因かもしれない。愚痴・悪口・文句・心配事などの「地獄言葉」を戒めている一人さんにしては「そいつ嫌われてるよ」なんて珍しい厳しい言葉だが、お弟子さんたちをありがとうを唱える人から言われる人へいざなうための手段なのかもしれない。

確かに「ありがとう」を言うよりも言われる人になる方がハードルは高いし、機械的に唱え続けるよりも「ありがとう」と言われる行動を心がけたほうが人格も磨かれそうだ。ただし、個人的には「ありがとう」という言葉自体には高い波動を感じるからありがとうを唱えることに全く効果がないわけでもなさそうな気はする。

ちなみに唱えるのは「Thank you」ではほとんど効果がないらしい。それは日本語の言霊に力があるからなのだとか。

 

「ありがとう」を唱えるといいことがある、人生が好転するというのには理由があり、小林正観さんの宇宙論では人間は投げかけたものが返ってくるといい、「ありがとう」と言えば「ありがとう」と言いたくなるような現象が返ってくるということらしい。「鏡の法則」と同じようなことだろう。

また、ありがとうと唱えていても不平不満・愚痴・泣き言・文句・悪口を言っていては何万回唱えようとすべて台無しらしい。言ったらまたスタート地点に戻ってしまうのだ。それはわかる気がする。お風呂に入りながら浴槽に汚れたものを入れているようなものだもんね。ありがとうを唱えるかどうかは別として不平不満・愚痴・泣き言・文句・悪口は言わないようにしたいと思う。私は日頃それほど人と接しないのだが、ありがとうゲームに少しでも参加できるように……というか、ゲームのことなんて意識しなくても人には親切に感じよく接したいものだと思う。