学校に行きたくない
いつも拝読しているブログで登校拒否の記事を目にした。
思い出した、自分も登校拒否だったことを。
小学校に入学してすぐに学校が嫌いになった……というか、自分に合わない場所だということがすぐにわかった。
劣化版のトットちゃんだったので学校で浮きまくっていたし、こちらは普通にしているのに廊下で突然ケンカをふっかけられたり、なぜか意地悪されることが多かった。意地悪をされる、だから嫌だったのではなく、当時はうまく言語化できなかったけれどそういう意地悪な考え方しかできない同級生がくだらなく見えたし、同じ体操服を着て一糸乱れぬように足を揃えて運動会の行進の練習をするのが気持ち悪いと感じて学校生活が途轍もなくつまらなかった。自分の考え方が理解されないのも面白くなかった。
昔は登校拒否児に対する扱いも手厚くなかった、というよりも登校拒否児は邪魔な存在だったので中学の教師からは「自分が特別な存在だと思うな!」「お前など社会に出れば歯車のひとつにしか過ぎないんだぞ!」などと随分怒られた。悩みを聞いてこの生徒を救う、みたいなことは全くなかった。担任とそういう話をしたことも一度もない。同級生が「今朝お母さんが起こしてくれなかったから寝坊した!お母さんのせいで遅刻ギリギリだった」と大声で言うのを聞いて「なんて幼いんだ、何もかもお母さん任せで恥ずかしくないのか」なんて思ったら学校自体もくだらなく思えた。
高校のときもあと英語の授業を1日休むと進級できないと言われたし、体育は出席日数が足りなくて夏休みに補修をさせられた。ただし、高校生活は楽しかった。高校というところはほぼ同じ学力の生徒が集まるので、それほど考え方が乖離した同級生がいるわけでもなく、よき先輩や友人に恵まれた。朝が弱かったので午前中に学校にたどり着くのが至難の業だっただけだ。学校に行けば楽しくて放課後いつまでも遊んでいて帰宅時間が真夜中になったくらいだ。
そして大学は授業も何もかも楽しくて、私は他人様よりも多くの単位を取得した。他学部にも講義を受けたい科目がいっぱいあったからだ。けれど、アルバイトばかりしていて寝不足だったので講義中は気持ちよく夢の国へ行ってしまうことも多かった。いまはもっともっとうんとうんと勉強しておけばよかったと少し後悔している。
親御さんに少しだけ希望を持ってほしいのは登校拒否の走りのような私でも大学にまで進学しているということ。人間、数年先のことまではわからないものだ。多分、小学校中学校の担任は私が大学まで行くとは思っていなかっただろう。
さて、そんな登校拒否の娘を抱えて母は何をしていたかというと、自分の人生に忙しくて娘をかまっている暇はなかった。もともと半分ネグレクト状態だったし。小学生の頃はおなか痛いから学校行かないで済んでいたけれど、中学の時にあまりに学校に行かないので一度だけ「好きにしなさいっ!!」とヒステリックに怒鳴られたことがあっただけだ。あとは私の躾は姉にお任せで、私の素行の悪さを目にすると母も祖母も「お前の躾が悪いからだ」ど姉を叱っていたらしい。あとで聞いた話だけれど。
そんなわけで、登校拒否中で親御さんが口うるさくてうざいと思っている児童、生徒のみなさん、気にかけてもらえているのは愛のある証拠かもしれませんよ。愛の反対は憎しみではなく無関心だと言うでしょう?
けれど、うざい思う気持ち、放っておいてと思う気持ちもわかります。私もかつては子どもだったから。ただ、親御さんはあなたをどうしたら救ってあげられるのかわからなくて悩んでいるのです。大人になれば何でも達観できて物わかりがよくなるというものではありません。大人も絶えず壁にぶつかったり悩みに押しつぶされそうになってもがきながら生きています。その悩みが自分の大事な大事な子どものことだったらなおさらです。それに、大人は自分が子どもだったときのことを忘れてしまっているものです。それは悪いことではありません。あなたも大人になれば子どもだった頃のことの多くを忘れてしまいます。けれど、それはやはり悪いことではないのです。私は子どもの頃は生きているのが本当につらかった。しかし、大人になるに従ってどんどんしあわせになってきました。金銭面で家族に頼り切りにならなくていいので自分の意見をはっきり表明できるし(子どもの頃の私は金銭的に面倒見られていたことに引け目を感じて卑屈になっていた)、いろいろな体験をして精神的に余裕もできるし、大人最高!
大人最高だから、自分の部屋に閉じこもって「もう死んじゃおうかな」なんて思わないで。つらくて苦しい子ども時代だけで人生を終わらせてしまうのは本当に本当にもったいないことです。いまは時間が経つのが長く感じるかもしれないけれど、本当は5年や10年なんてあっという間です。
そして、お父さん、お母さん。子どもが学校にも行かずに部屋に閉じこもってゲームなんてしていると「何を考えているんだ」と頭にきますよね。けれど、できるなら頭ごなしには怒らないでください。もしかしたらお子さんは自分の心の中からつらいこと、苦しいことを追い出すために一生懸命ゲームに打ち込んでいるのかもしれません。逃げ場がほしいのです。私もイヤなことがあるとゲームをやって頭を空っぽにしようとします。マインドフルネスの劣化版の代用のようなものです。自分でも時間を無駄にしていると自覚していますが心を守っています。
そんな状態の時、学校に行かないで家にいるのなら本当はお母さんと一緒におしゃべりをしたりお料理を作ったりお菓子を作ったり買い物に行ったりするのがいいかなと思いますが、子どもはお母さんが怒っているなとか悲しんでいるなということを敏感に感じ取るのでなかなか側に行くことができず、ゲームを選んでしまうのかもしれません。学校も嫌だけどご両親に対しても引け目や後ろめたさのようなものを感じている可能性が高いです。それで余計にゲームのような逃避の方向へ向かってしまったり部屋に閉じこもったりしてしまうのかもしれません。惰眠を貪っているように見えるときも幼い心を守っているのだと思われます。小さな頭の中で葛藤しています。大人にとっては取るに足らないことでも子どもにとっては重大事件なことはざらにあります。ただし、本当に怠け心だけでのほほんとゲームをしているのが確固たる事実であるならば遠慮なく叱り飛ばしていいと思います。
それから、思春期にはホルモンバランスも崩れるので精神不安定になります。反抗的になります。自分の心を自分でどうしていいのかわからなくなるときがあります。理性ではわかっても感情がついていかないのです。いま振り返ってみるとその年頃だった頃、私も大変気難しかったと思います。いえ、多分、かなり恥ずかしいくらい気難しかったです。
だからといって親御さんの立場になってみると、これから自分の子どもはどうなってしまうのかという先の見えない不安に押しつぶされそうになったり、どうして言っていることをわかってくれないのか腹立たしいこともあるかと思います。私は結婚もしていないし子どももいないので親御さんにアドバイスすることはできないかなと思いますが、もしも自分に子どもがいたらどうするか考えてみました。
いまはいろいろな方法があるのだから、登校させること一択じゃなくていいやと考えます。大人にわからないつらさが学校にあって命を削るような思いをさせる、実際にそういう行動に走らせてしまうよりも、フリースクールなり何なり探すと思います。命が一番大事だから。私は子どもの頃、すでにもう現世に執着がありませんでした。心は天国へ行くスタンバイができていましたが、いまでも生きているのは信仰の存在によります。自死は信仰を傷つけるからです。いまはなかなかそういう宗教観や生命観を持つ子どもは少ないでしょうからなおさら命を守ることを第一に考えると思います。苦難に立ち向かうことだけがいいことではありません。命や心を守るために逃げることも大切です。世の中にはしなくてもいい苦労もあります。
お子さんの将来を考えたらちゃんと学校を出して就職させなければといい親御さんであればあるほど考えると思いますが、いまは私たちが学生だった頃よりもお金を稼ぐ手立てはたくさんあります。例えばネットで絵を販売してガッチリ稼いでいる小学生も実際にいます。私が親だったら子どもの才能をみつけること、子どもが好きで打ち込めることを探す方に全力で振りきるかもしれません。そうしているうちに子どもが「やっぱり学校行く〜」と言って登校していくのであればそれはそれでよし。「じゃあ学校へ行ってこい、けれど死にたくなるようだったらいつでも帰ってこい」と送り出します。
ただ、私がこんな脳天気なことを書けるのも自分が自由業だからだと思います。きちんと就職してお勤めしている方にはたまらなく心配で仕方ないことだと思います。
結局何のアドバイスもできない感じになってしまいましたが、学校で浮きまくっていて登校拒否でもあった私でも何とか大人になってそれなりにしあわせに暮らしていることだけはお伝えしたいと思います。