運転下手なドライバーの見分け方
街を歩いていたりスーパーで買い物をしているときに、道幅は狭くないのにバッグを体に当てられて「えっ?」と思うことが時々ある。
例えば広い歩道の端を歩いていると向かいから歩いてくる女性のトートバッグが私の腕に当たるとか、追い越しざまに腕にバッグを当てられるとか。スーパーの広い通路で商品を吟味しているときに背中に買い物カゴを当てられるとか。狭い道で私が邪魔になっているならわかるが、広い道で私の側よりもその人の側に広いスペースがあるにもかかわらず、だ。
最初は「もしかして嫌がらせされてる?」「わざとこっちに幅寄せしてきている?」などと思ってイヤな気分になった。そうやってぶつかってくる人の大体が謝りもしないし。
しかし、そのうちにどうやら嫌がらせや幅寄せとは違うようだということがわかってきた。そういう人たちを観察していると圧倒的に女性が多いことと、ぶつかっているのが私に対してだけじゃないことがわかったからだ。ということは、自分の体とバッグを持ったときの自分の体の幅が掴めていないということなのだろう。車の運転に例えるなら車両感覚がまるでないということだ。そういう人が車を運転したらと考えると恐ろしい。いまこの記事を読んでバッグや買い物カゴを他人に当ててしまうと思い当たる人は車の運転はしない方がいいですよ。あるいはよっぽど慎重に慎重に運転をするか。そうじゃないとせっかくの車が傷だらけになります。
また、私には車の運転が下手なドライバーを見分ける自分なりのポイントがある。これは絶対に当たっているという自信があるのだが、運転するときにお口をぽかんと開けているドライバーは運転が下手な確率が高い(優しいいい方をしましたよ)。細い道で対向車とすれ違うときに端に寄れないドライバーは大抵口を開けているし、右折できないドライバーも口を開けている。すれ違いや右折など緊張する曲面になったから口を開けるのではなく、普通に走行している最中に口を開けている率が高いのだ。これを読んだみなさんも今度から対向車のドライバーの口元を観察してみると面白いと思う。
運転つながりで想い出した。
私はかつて大渋滞の先頭になったことがある。断っておくが私が運転していたのではない。まだ私が高校生の時に所用で家からかなり離れた場所へ出かけたことがあった。そこで知り合いのお姉さんにばったり会うと、彼女は善意で車で家まで送ってくれた。お姉さんの車は犀川沿いの国道19号線を松本市街地に向けて一生懸命走っていく。だが、実はこのお姉さん、車の運転が大の苦手だったのだ。「後ろの車が煽ってくる〜」と緊張で顔を真っ赤にしてハンドルを握っているお姉さん。驚いた私は後ろを振り返った。すると緩く大きなカーブのせいでかなり後ろの方まで見渡すことが出来たのだが、お姉さんの車を先頭としてものすごい距離の渋滞が出来ているではないか。冬の夕方はもう真っ暗で車のライトが連なる光景は壮観でさえあった。お姉さんの車は時速40キロいくかいかないかの速度で走っている。頑張れ、お姉さん!と私は心の中で思いつつ、反対車線の車がスムーズに流れている様を見て、自分が将来車を運転することが少しだけ不安になった。しかし、私が渋滞の先頭になったのはこれまでの人生でまだこの一度きりだ。ちなみにこのお姉さんは右左折の時に歩道に乗り上げてしまうこともあったが、私の知る限り交通事故は起こしていない。なんて守られているんだろうと思う。
また、大人になってから別の友人に車で遊びに連れて行ってもらったことがある。彼女も運転が苦手だった。時速40キロ以上は怖いし、高速には絶対に乗らないと心に決めているような人だった。彼女の車に乗ってしばらくすると私ももうひとりの友人も口数が極端に減ってしまった。何故か?それは極度の緊張からだった。塩尻から木曽方面に向かう途中、工事用の信号機も含めて彼女は信号無視を3回した。わざとではない。彼女にはそこに信号があることが認識できていなかったか信号が赤だと認識できていなかったのだ。これが田舎のそれほど車通りがない道だったからよかったものの、都会だったらどんな大事故になっていたか。というか、彼女も前述のお姉さんも車で通勤していたが、よく事故に遭っていないなと感心する。やはり守られているのだろうか。いや、守られているのは周囲のドライバーや通行人の方かもしれない。
彼女たちのように車の運転が苦手でも、田舎では車を運転しなければ生きていかれない。体にバッグを当てられるのは東京での回数が断然多いが、それは人口密度の差だろう。だが、自分の体の幅を認識できない人は絶対に車の運転が下手だと推測できる。都会は公共の交通機関が発達していて本当によかったなと体にバッグやカゴを当てられるたびにつくづく思う。