都会も捨てたものじゃない
今日は仕事で電車に乗った。
社内はそれほど混雑していなかった。ラッキー。
とある駅に電車が到着すると、私から離れた場所に座っていた女性が立ち上がってフラフラとこちらへ歩いてきた。朝っぱらから酔っ払いか、嫌だなあと思った。
その女性は座っている私の方を見て何故かニタリと笑い、ドアが開くと同時にバッターン!と頭から倒れた。私の目の前で。
すると、近くにいた全く面識のなさそうな主婦と思しき人たちが3人、彼女に駆け寄って
「大丈夫ですか!?」
と声をかけながら介抱を始めた。私は急いで非常ボタンを探して押した。
全然応答がない。どうしようかと思っていると若いお兄さんが
「僕が駅員さんを呼んできます!」
と電車からホームへ走り出ていった。
私は非常ボタンの前で
「京王線のジョーカー事件の時に、非常ボタンを押したけれど運転手さんだったか車掌さんだったかの応答に誰も答えないので社内で何があったかわからなかったとニュースで言っていたけれど、こんなに応答がないんじゃ刃物持った男が暴れていたら非常ボタンの前にとどまってはおれないな」
と実感した。実際は1分も経っていなかったかもしれないけれど、体感時間は長い。
女性はいつの間にか親切なお母さんたちの手により座席に座らされていた。お母さんたちは女性の背中をさすったり「頭痛くない?」などと聞いたり献身的だった。
しばらくしてやっと非常ボタンのスピーカーから「どうされましたか?」と声がした。私は人が倒れたことを伝えた。
それから1分弱くらいで駅員さんがやって来て、女性を電車の外へ連れ出した。
女性が倒れてから電車が再び動き出すまでおよそ5分。
私はその次の駅で降りたけれど、倒れた女性にすぐに駆け寄ったお母さんたちやホームに走り出した青年などを目の当たりにして
「都会は殺伐としていると言われているけれど、捨てたもんじゃないなー」
とさわやかな気持ちになった。倒れた女性にとっては災難で、大変だったのだけれども。
そして、お母さんってすごいなあと言うか、その方が特にすごかったのかもしれないが、全く見ず知らずの、どんな病気で倒れてしまったのかわからない赤の他人の額に手を当て、顔にかかった髪をかき上げて介抱している姿に圧倒された。このご時世だから余計に驚いた。無償の愛というのか、人類愛というのか。もしかしたら看護師さんとかなのかな、とも思うけれども。それにしても立派だ。
仕事先でディレクターにこの出来事を話して
「よくわからないのは、女性が倒れる前にニタッと笑ったんですよね。どうしてでしょう?お薬でもやってたんですかね?」
なんて下衆の勘繰りをぶつけると
「それは多分ブラックアウトしたんですよ。筋弛緩して顔が緩んでしまったのが笑ったように見えたんですよ」
と言われた。
なんとなんと!そんな大変な状況だったとは!
そういえば大学の同期でボクシング部だった友人が
「殴られてダウンするときは気持ちがいい。天国に昇って行くみたいだ」
と話していたことを思い出した。
いろいろな事情で体調が悪くても出かけなければならないことがあるかもしれないが、みなさん、体が一番大事です。お互いに体調管理に留意しましょう。
あの女性が元気を取り戻していますように。
女性を介抱したお母さんたちや青年にいいことが雪崩のごとく起きますように。