活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

味噌汁は原爆以外に流行病にも有効か?

秋月辰一路「体質と食物 健康への道」を読んだ。

呼んだと言ってもおよそ60ページほどの本なのであっという間に読めてしまう。

 

 

秋月辰一郎(あきづきたついちろう 1916年〜2005年)は長崎県出身の医師。

私はずっと前に「長崎に原爆が落とされたときに味噌汁で大勢の命を救った人だ」と聞いたことがあった。以前、Amazonで書籍を探しているときに偶然オススメに上がってきたので購入した。

月氏被爆当時、爆心地から1.8キロにあった病院に勤務。廃墟になってしまった病院の建物で原爆の被害に遭った人々の治療に当たり続けた。薬も医療器具も灰燼に帰して何もないなかでの奮闘だった。

病院は長崎市の味噌・醤油の倉庫にもなっていたので自身も従業員も「わかめの味噌汁」を摂るようにした。すると秋月氏にも患者の救助や人々の治療に当たった従業員にも原爆症が出なかった、というのである。

原爆投下当時の話は「体質と食物」ではなく同じく秋月氏の著書「死の同心円」に詳しいが、そちらには原爆症の対策として「塩気の強い玄米ごはんと塩辛い味噌汁を食べることと甘い物は避けるように、砂糖は絶対にダメだ」と指示していた話が書いてあるようだ。

 

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「体質と食物」は、味噌汁の啓蒙書と言っていいだろう。

月氏が医師を志したのは幼少の頃から多病虚弱でそれを自ら克服したいと考えたからだという。しかし、対症療法や手術療法ではなく、人間の体質を作り変えて病気に罹らなくて済む身体、病気に罹っても軽くて治る身体を目指し、人間の身体を作るのは食物だということにたどり着いた。結核に罹り天井を眺めながら真剣に身体を改造して出直そう、そのためには食物を改めようと決心した。「『悔い改めよ』でなく、食い改めよ』である(19ページ)」とは至言である。

食い改めることにした秋月氏は当時、滋養によいとされていた卵や牛肉や牛乳ではなく味噌汁こそが体質改善の鍵だと考え、「揚げ豆腐とわかめとを実とした味噌汁は、日本人の本当の要の食品であると確信した(21ページ)」のである。実際、秋月氏が診療するなかで滋養のために卵、牛乳、肉を摂っている患者よりも毎日味噌汁を飲んでいる患者の方が治りが早かったようだ。

月氏は自身も毎朝1杯の味噌汁を欠かさず摂りつつ、戦時中で医師不足であったためまだ結核が癒えていない身体で働き出した。そして長崎の病院で原爆に遭ってしまった。

本書ではまだ「放射能の害を、わかめの味噌汁がどうして防ぐのか、そんな力が味噌汁にどうしてあるのか。私は科学的にその力があると信じている(23ページ)」と書くにとどまっているが、福井県のマルカワみそのサイトには「みそには放射能物質を除去する効果があるといわれています」とある。なんでも味噌に含まれるジピコリン酸という物質に放射能を吸着して排出する作用があるらしい。1986年のチェルノブイリ原発事故以来、チェルノブイリやヨーロッパ諸国への味噌の輸出もおよそ2トンから14トンに急増したという。味噌、本物である。

marukawamiso.com

 

味噌汁は薬のように急激に効くものではないが、毎日1杯取り入れることで体質が変わっていくのだそうだ。しかも、大豆を料理に取り入れるのではダメで、発酵させて味噌煮してこそ力を発揮するようだ。乳酸菌などの有用な最近も摂取できるので腸内環境もよくなる。また、朝の空腹時に飲むのが一番効果的だという。

医学的には

  1. アルカリ体質を作る
  2. 寄生虫の予防になる
  3. 虚弱体質を変える
  4. 若々しく長寿を保つ

という効果を得られるというのだから、飲んで損はない。

私は夏になるとあまり味噌汁を飲まなくなってしまうのだが、明日の朝からまた毎日味噌汁を飲もうかなと思う。秋月氏のオススメはわかめと揚げだが、私は具だくさんの味噌汁が好きだし、毎日いろいろな実で楽しみたい。きのこ県の信州出身者としては味噌汁にきのこは外せない。健康面から言えばきのこも大事だと思う。

 

長崎で原爆の後遺症から秋月先生とスタッフを救ったわかめの味噌汁だが、わかめに含まれるヨウ素がよかったとは考えられないだろうか。わかめに含まれるヨウ素は微量だが、毎日摂取し続けたことで秋月先生たちを救ったのではないかと考えてしまう。

また、日本人は海外の人たちよりも放射能に強いのかなと感じたこともある。広島も長崎も放射能が何万年も残って人々が住めなくなるといわれていたようなのに、被曝された方を除けば現在、多くの皆さんが健康的な生活を送っている。

福島第一原発の事故でも同じようなことがいえる気がする。日本を助けてくれた米軍のトモダチ作戦で、作戦に参加した兵士の皆さんの中には重い後遺症に苦しんでおられる方も多いと聞く。

news.yahoo.co.jp

日本人で苦しんでいる方がニュースにならなかっただけかもしれないが、もしも本当に米軍の皆さんよりも福島の皆さんや自衛隊の皆さんの症状が軽いならば、これも味噌汁の力なのだろうか。

 

そう考えていて、それならば他の病気はどうなのだろうと気になり始めた。他の病気とは私たちに2年も不自由な思いをさせている新型コロナだ。

世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスだが、日本人の罹患者が世界に比べて少ないことが話題になった。元々衛生的な生活をしているからだとか、BCGの予防接種がよかったのだ、などいろいろな説があったが、もしかして味噌汁も関係しているだろうか?秋月氏のいうように味噌汁が日本人の体質を病気に罹りにくくしたり、罹っても軽症で済むようにするのだとしたら、それは新型コロナにも当てはまらないだろうか?また、日本でも新型コロナに罹って後遺症で苦しんでいる方もおられるが、その方々は味噌汁を毎日飲む生活をしていたのかどうか。また、ワクチン接種で副反応が出る人と出ない人がいるが、そういう人たちの味噌汁摂取率はどうなのか。ちょっと気になってしまった。

ちなみに私は夏になるとあまり味噌汁を飲まなくなると最初に書いたが、そうは言っても週に2回は飲んでいる。そんな私のワクチン接種の結果は、副反応まるでナシだった。注射した方の腕がちょっと痛む程度はあったが、発熱や倦怠感などは全くなく、いつも通りの体調だった。念のため書き添えておくとワクチンはファイザーだった。

みなさんはどうでしたか?副反応のあるなしに味噌汁は関係していましたか?

 

さて、明日の朝の味噌汁の実は何にしようかな。

 

 

 

【訂正】レジ袋と古着 地球のことを考える

※私の認識の一部に誤りがありましたので訂正しました。

レジ袋有料化は小泉進次郎環境大臣が推進したわけではなく、その前任者の原田義昭氏と世耕弘成氏が推進したものでした。本文中、赤字で訂正させていただきました。小泉進次郎さん、申し訳ありませんでした。

 

今日は地球の環境のことで書きたいことがふたつある。

ひとつはレジ袋のこと。

もうひとつは古着のこと。

どちらも私にとっては頭を悩ませることが多い問題だ。

 

 

 

無料レジ袋 復活を願う

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2020年7月1日、レジ袋有料化が実施された。小泉進次郎環境大臣の肝いりで

当時の世耕弘成経産大臣と原田義昭環境大臣が中心となって推し進めたものだ。

私はこれには最初から賛成できなかった。理由はひとつ。ごみを捨てるのにわざわざ新品の、まっさらな、何の汚れも罪もないビニール袋を使うのがとても悲しくて嫌だったから。

うちではごみ箱の中に使用済みのレジ袋をセットしてそこにごみを捨てるようにしていたし、東京都は指定ごみ袋がないのでごみ捨て場に捨てるときも使用済みレジ袋を使っていた。使用したレジ袋をごみ袋として活用してあげた方がレジ袋も成仏するに違いないと思っているし。だからまだ一度も使っていないのにごみ袋にされてしまう袋が気の毒でしょうがない。私は身の回りにある品物が単なるモノに思えずに頭の中で擬人化してしまうというか八百万の神がそこら中に宿っていると考えてしまうタイプなので、単なるビニール袋だというのに生まれたばかりの命がすぐに死んでしまうような感覚になってしまって、新品をごみ袋にするのが苦手なのだ。だからいつもごみ箱にセットするときもごみ置き場に持っていくときも「ありがとう、ありがとう」とビニール袋さんに声をかけてしまう。

そんな風なので100鈞でレジ袋型のビニール袋を買い、それをスーパーに持っていき買った商品を入れていたのだが、これがあまり丈夫じゃないのだ。荷物を入れて歩き始めると取っ手部分が伸び始めて手に食い込む。伸び始めるということは袋の底と地面の距離が近くなるので非常にヒヤヒヤする。そして「この袋、家までもつのか!?」ととてもハラハラするのだ。なので私もビニール袋ではなくマイバッグを使い始めた。これはこれでいかに衛生的に使うか、またスーパーのサッカー台の上に置いて荷物を詰めるのでウイルスも気になる。他人様より少々神経質な私は買ってきたものもいちいち消毒しているのでもちろんマイバッグもその度に消毒することになり大変手間だ。

元中部大学教授の武田邦彦さんもごみを捨てるために有料のごみ袋を買うという矛盾を指摘したり「ポリエチレンでできたレジ袋をできるだけ使うようにして、ポリエステルを節約することが環境的には大切」と仰っていることもなるほどと思う。

www.mag2.com

昔うさぎとふたりで暮らしていたが、毎日のトイレ掃除でも使用済みレジ袋は大活躍していた。いまうさぎがいたらちょっぴり懐が痛んだだろうなと思う。

 

お店側でも万引きが増えたというし、コンビニやドラッグストアのレジ待ちの行列は長くなったし、いいことなんてあったのだろうか。有料化対象外の袋もあるのに多くの店が袋の有料化に踏み切ったし、紙袋まで有料化した店もあった。それで万引きが増えたといわれても……という気持ちになることもあった私の中で、有料化対象外の袋を使っていたお店は評価が上がった。もちろん万引きは犯罪で犯人の味方をするつもりも庇うつもりも毛頭ない。

昔々はスーパーで買い物をすると買ったものを無料の紙袋に入れていた。それが森林伐採が問題だとしてビニール袋になったらしい。森林伐採が問題だといっても今や日本全国で手入れができずに荒廃している山も多い。もしも紙袋が有効に使われていたら、間伐材で作っているのにもったいないと目の敵にされた割り箸も有効利用されていたら、日本の林業もいまよりも少しくらいは発展していた、もしくは人手に困ることはなかっただろうか。それとも、日本人はそういう肉体労働を嫌って結局、中国に発注していたのだろうか。よくわからないけれどいろいろな政策が目の前のことしか見ていなかったなと感じることがある。環境大臣も交代することなので、レジ袋有料化を撤廃してはもらえないだろうか。レジ袋を無料に戻してほしいという声はネットでも多く見受けられる。

レジ袋を有料化するより前に、外国でレジ袋などのプラスチック系ごみが問題になっているのならば環境大臣として日本のごみ焼却場の素晴らしいシステムをそれらの国に営業してほしかった。日本のごみ焼却システムは高性能。ビニールやプラスチックをちゃんと焼却することもできるし有害なガスもほぼ出しません、と。実際、公害防止設備により窒素酸化物、硫黄酸化物、煤塵、ダイオキシン類などの厳しい排ガス規制をクリアしているため、ごみ処理施設は渋谷のど真ん中で稼働している。この素晴らしいごみ焼却施設は日本企業がシンガポール、台湾、タイ、中国に納入している。アジアだけでなく世界に広がればいいのに。

プラスチックやポリエチレン、ポリエステルを無駄に消費してはいけないが、レジ袋を迫害までしなくていいと思うの。迫害するより前にレジ袋もストローもペットボトルもポイ捨てするなと教育しないと、海も山も川も街もごみだらけという状況は1㎜も変わらないのではないだろうか。野生動物が食べても紙ならビニールやプラスチックよりもマシかも知れないし自然分解されるかもしれないが、人間の教育も大切だ。

 

古着を発展途上国に送ること

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私は子どもの頃から太りやすい。いまもすくすく横に成長しているため着られなくなってしまった洋服が結構ある。まだ姪っ子が子どもだった頃はお下がりで着てもらっていたが、お年頃になったのでそれは止めた。やはり一定の年齢になったらお下がりよりも自分で好きな洋服を選んだ方が人生楽しい。

そして、レジ袋の件でばれたと思うが、私はものを捨てるときに心が痛む質だ。洋服も大事に着ていて全然傷んでいないものを処分するのは心が痛む。そこで以前は発展途上国に送ることを真剣に考えていた。何度も考えた。ネットで送り先も調べた。しかし、まとまった数がなくて送れなかったり、枚数があってもボランティア団体の方で「いまは募集していません」というときもあった。洋服も傷むまで着てもらえれば幸せだし、衣類をなかなか買うことができない人たちの役にも立てるんじゃないかと思っていたのに。

しかし、今朝、Twitterで「寄付した古着が実は発展途上国のアパレル産業を苦しめている」という内容のツイートを見てハッとした。そうか、自分はその国の実情を何も知らずに自己満足だけで動こうとしていたのだと。

mag.sixty-percent.com

私は寄付した古着は支援団体から洋服がなかなか手に入らない人たちに届けられると思っていた。しかし実際は違って、多くはインドや東アフリカなどの市場で転売されているのだという。こんなところにも転売ヤー

転売されお安く手に入れられる大量の古着は、後進国のアパレル産業に大打撃を与えているのだった。古着よりも高い新品を着る人は少ないのだそうだ。それでは産業が育つはずがない。

また、古着がもらった人の迷惑になるという話を10年前に日本でも聞いたことを思い出した。東日本大震災などの大きな震災があると古着を支援物資とすることもあったが、それは被災された人たちにとって結構な迷惑だったという話だ。何もかもなくしてしまった当初の着替えの1枚も手に入らないときには役に立つが、それ以降は保管するだけでも大変だったと。中にはとても着られないようなボロボロの衣類を送った人もいたとワイドショーでやっていた記憶があるが、それは本当だったのだろうか。

自分では親切心でやっていたことも相手の実情を何も知らずに行えば独善でしかない。

ちなみに私は先日も年齢に合わなくなったデザインの洋服を処分した。寄付はせずに一部はお礼を言いつつ燃やせるごみとして処分し、一部はモードオフに持っていった。ノーブランドなので持っていった枚数に対して100ウン円という破格の安さだったがここは値段ではなく傷んでいない洋服を誰かが使ってくれることが大事だった。しかし、これが頑張ってボランティア団体を探し出して途上国に寄付していたとしたら、今朝のTwitterを見てかなり凹んだと思う。間が悪くて寄付できなかっただけなのに、他国のアパレル産業に打撃を与える片棒を担がずに済んだことは幸いだった。

 

本当に地球の環境のためになること、人のためになることとは何なのか。未来のことを考えて、相手の実情を知って行うことが大切だと改めて考えた1日だった。

 

 

 

2025年7月に大災害は起こるのか?

Amazonに注文していたたつきさんの「私が見た未来完全版」が届いた。

今回はこの本のレビューと明晰夢の見方について書いていきたい。

 

 

世の中を騒然とさせた「私が見た未来」

この本は2011年以来何かと話題になっていた。

なぜ話題になったのかをご存じない方のために簡単に説明させていただく。

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2021年10月8日第1刷発行

出版から12年後に予言が的中!?

「私が見た未来」は1999年に出版された。ノストラダムスの大予言で世の中が湧いていた頃である。内容は著者のたつき諒さんが見た夢を描いた漫画だった。たつきさんは漫画家デビューした1976年頃から見た夢を記録しており、それが結果的に予知夢になっているものが多かった。「私が見た未来」はそれらの予知夢の一部を描いたものだった。当然主人公はたつきさん自身だ。紹介されていた予知夢はQueenのフレディ・マーキューリーの死や家族や友人に起きたことなど。そしてなかにはまだ現実にはなっていない大津波の夢も描かれていた。この夢も予知夢だろうか……という感じで。

上の写真をよく見ていただくと表紙に「大災害は2011年3月」と書かれたメモが描かれている。出版したばかりの頃は特に話題にもならなかったが、2011年3月11日に東日本大震災が起きると表紙の「大災害は2011年3月」と内容の津波の夢が予知夢だったのではないかと話題になり、オカルト界は騒然としたようだ。すでに絶版になっていたため古本には10万円以上の値がつけられた。私も読んでみたかったのにとてもとても手が出せずに、電子書籍にでもしてくれないかなと思っていた。

 

なりすまし現る

当初、復刻版の発売日は2021年7月20日だったものが突然10月2日に延期された。実は、たつき諒として出版社と交渉していたのはなりすましの男だったことが判明したのだ。本物のたつき諒は女性である。そりゃこのまま出版するわけにはいかない。

本物のたつき諒さんは98年に漫画家を引退し、ずっと沈黙を貫いていた。しかし、Twitterたつき諒を名乗る人物が出現し、予知夢について語り出した。不思議探偵社.さんというサイトがそのたつき諒の代理人となって飛鳥新社から復刻版を出版することとなった。ほかにも学研のムー、YouTubeのATLASラジオなどのメディアに出演していた。これらの出演もおそらく不思議探偵社.さんが窓口となっていたと思われる。ところが、どういう経緯でかは知らないがなりすましだということが発覚し、大騒ぎになったのだった。不思議探偵社.さんも完全に騙されていた。この一件で唯一個人的によかったと思ったのは私もときどき読んでいる不思議探偵社.の管理人のレオさんがとても誠実な方だということがわかったことだった。レオさんは各メディアにお詫びに回るなどとても誠実に対応しておられた。

そんなすったもんだがありつつも無事に本物のたつき諒さんがみつかって無事に「私が見た未来完全版」は出版されたのだった。

 

完全版の内容

「私が見た未来完全版」は2部構成になっている。

第1部 予知夢編では「夢のメッセージ」と「私が見た未来」のたつきさんが漫画家だった当時に見た予知夢の漫画2本と、たつき先生がつけていた夢日記の写真やたつき先生本人による解説。

第2部 ミステリー漫画編たつきさんが漫画家時代に描いた9本の作品が収録されている。

私は昨日届いて昨日のうちに一気に読んでしまった。

 

興味深いのは「3.11の予知夢が的中した」と世の中で言われているが、たつきさんご本人は津波の夢は3.11のものではないと考えておられることだ。原稿の締め切り日に夢で2011年3月という年月を見て、これはとても重要な日付だと思い、急遽、文字だけを付け加えたものだという。そして、津波の夢については2011年3月のことではないと言い切っている。夢の中の自分は半袖の夏服で、夢で見た津波の高さは東日本大震災のそれよりももっと巨大だったという。そのため、この後に見た2025年7月に関わる予知夢なのではないかとたつきさんご自身は考えている。これが的中するならば日本は2025年7月に東日本大震災以上の大災害に襲われることになる。その詳細はというと、2025年7月、日本とフィリピンの中間あたりの海がポコンと破裂(噴火)し、その結果、太平洋周辺の国に大津波が押し寄せるというものだ。その津波の高さは東日本大震災のときの3倍はあろうかという巨大津波で、日本以外にも香港から台湾、フィリピンまでが襲われるらしい。

 

こう書くと絶望しかないが、たつきさんはそうは考えていない。

3.11が予知だったとすれば、その時の予知はたくさんの人々に届かなかったが、いまは多くの人が注目しているので、その日に向けて人々の意識が変わっていけば対策を立てることもできると希望を持っておられるのだ。

また、2025年7月の大津波後の世界はとても輝かしいものとして、2001年1月1日の夢で見たという。地球全体ですべての人々の状態が明るく輝き、活き活きと暮らしている姿が見えたとイラスト付きで書かれている。どんな世界なのかはぜひ本書を読んで確認してほしいと思う。

たつきさんがすごいのは、見た夢をそのまま起きることとして解釈しているのではなく、どういう心理状態のときにどんな夢を見るのかや夢占いではどんな解釈をするのかなども考えていることだ。客観的に冷静に見ることで信頼度が増すと思う。

 

また、私は完全版が届いたときに表紙を見て何か違和感を覚えたがそれがどうしてなのかわからなかった。しかし、本書を読み進めていくとその謎が解けた。

1999年版の表紙の女性(たつき先生ご本人)は泣いていて涙が頬を伝っていたのが、完全版では涙が消されていたのだ!

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1999年版表紙

この理由についてたつき先生は作者あとがきでこう書いている。

最後に。99'年「私が見た未来」の表紙イラストを描いた時期は、身体も心も何もかもが死ぬほどつらく……あんなイラスト(55ページ)になりました。今でも問題は山積みですが、解決に向かっているのがわかったことが救いです。で、泣くのヤメた。「明るい未来を夢見て」涙を消しました。

 

完全版を読んでいただけばわかるがたつき先生の予知夢の的中率はかなり高く、2015年7月の大津波の夢も的中してしまうかもしれないが、少しでも被害が減らせるように努力していくことはできる。この予知夢を信じなくてもいいが、今回の完全版出版がきっかけとなって多くの人が災害に備えることができればいいと思う。

また、手相も99年版とは大分違うがこの理由も本書に書かれている。

 

完全版の中で個人的にとても興味深かったのは、たつき諒先生がインドへ行ったときに自分が前世でサティヤ・サイババの娘だとわかったという話。たつきさんの話に限らず、サイババには面白い話がいろいろある。

 

私の見た予知夢の話

ところで。

夢日記はかつて私もつけていたし、予知夢を見ることも多かった。

家族にいちばん受けた予知夢は2014年のマレーシア航空307便墜落事故についてだった。

この事故の3日前に機体に赤と青のラインの入った飛行機がどこかに墜落する夢を見た。私は明晰夢なので、墜落する悲惨な場面を見る前に意識して目覚めた。翌日も機体に赤と青のラインの入った飛行機が急降下して墜落していく夢を見た。飛行機のことなんか考えてもいなかったのに2日も連続でこんな夢を見るのはさすがにおかしいと思った。そして、その次の日にもやはり夢の中に赤と青のラインの入った飛行機が出てきて急降下していった。その時は最後まで見てやろうと思って機体の行方を見ていると椰子の木の森のようなところに向かって降下しており、その様子を数人の男たちが見上げていた。その中の1人のモジャモジャ頭で色黒の外国人の男が急に私の方を振り返って「モルディブ!!モルディブ!!」と血相を変えて叫んだ。「ん?モルジブのことか?」と思ったところで目が覚めた。電話で一連の夢の話を家族にすると「なんで3日も飛行機事故の夢見てるのw」「どうしてモルジブなのw」大うけだったが、マレーシア航空307便が消息不明になったとニュースが流れた。その時までマレーシア航空の機体は赤と青のラインが入っているものだとは知らなかったので、ニュース映像を見て「あっ、夢で見た飛行機だ!」と本当に驚いた。そんなわけで私はいまでもマレーシア航空307便はモルジブに落ちたのではないかと思っている。

 

明晰夢を見る方法

私の実体験から言えることだが、夢日記をつけ始めると目覚めたときに夢を記憶している確率がグッと高くなる。明晰夢になって夢の中で考えたり自分で行動できるようにもなる。なので明晰夢を見られるようになると滅多なことでは悪夢にはならない。これから怖いことが起こると感じたらその場を離れることができるからだ。明晰夢を見るようになりたいと考えている人は多いようだが、もしもあなたもそうなら夢日記をつけることをお勧めする。

 

 

 

なぜ勉強しないといけないの?

今回は「どうして勉強しないといけないの?」という多くの子どもが1度は持つであろう疑問に対する回答のお話。あまり勉強が好きではない子どものみなさんにお話しするように書いてみたいと思う。

なぜそんなことを書くのかということはブログの最後の方で明かしたい。

 

 

 

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私が考える勉強した方がいい理由

「いいなあ大人は。宿題しなくていいし」

「数学や物理、古典なんて社会に出てから使わないじゃん」

「テストばかりで嫌になる」

そうそう、そう思うよね。子どもは本当に大変。大人たちは「子ども時代が一番幸せだ」「今が一番いい時期だ。大人なんてつまらないぞ」なんて言うけど、本当にそう?

そうとも言えるし、違うとも言える。けれど、きみたちよりもずいぶん年を取っているから言えるけれど、勉強は絶対にした方がいい。

 

以前、家庭教師などで小中高生に接しているときには

「どうして勉強しなきゃいけないの?」

と聞かれたら、私は

「それは将来の自分の夢を叶えるためだよ」

と答えていた。

たとえば小学生や中学生の頃に、勉強が嫌でさぼってばかりであまり成績がよくないとする。けれど、高校生になったときにある日とつぜん使命に目覚めて「弁護士になりたい!」とか「お医者さんになりたい!」とか「外交官になりたい!」とか「宇宙飛行士になりたい!」と夢を描く。その時点ではもう夢じゃなくて目標になり得るかもしれない。

ここで問題になってくるのが成績だ。なりたい職業が頭のいい人しかつけないものだったら自分が一番がっかりする —— ここでいう頭がいいというのは、遊びたいなと思う気持ちと戦って、真面目に勉強に取り組んでそれなりにいい成績をとっていること —— 要は勉強ができる方が将来のお仕事選びの幅が広がる。

そんなわけで、将来、夢を見つけたときに挑戦できる位置にいるためにも勉強しておいた方がいいよ、と思うのだ。

 

けれど、最近は「どうして勉強しないといけないの?」の質問にもうひとつ違う答えも考えている。それは「将来、悪い人たちにだまされないためだよ」ということ。

最近は詐欺の手口も巧妙化していてどんどん見破るのが難しくなっている。なぜか悪い人たちは善良な人たちからお金をだまし取ることにかけてはすっごく知恵が働く。フィッシング詐欺だって、だんだん本物のカード会社や銀行から来るメールと見分けが付かなくなっている。ほかにも、仕事上で人をだますような悪い業者さんもいる。この人たちにだまされないためにも勉強はしておいた方がいいと思う。

「悪い人にだまされるのと勉強とどういう関係があるの?」

と不思議に思いますか?

私はふたつの理由で関係があると考えている。

ひとつは勉強をしていないと頭がよさそうな人に言いくるめられやすくなってしまうこと。自分は成績が悪いな、頭がよくないな、と思っているとなぜかちょっと頭のよさそうな人、弁が立つ人の言うことに疑問を持てなくなってしまう。子どもの頃からあまり成績がよくないと自分の方が間違っているんじゃないかと思うクセがついてしまうというのかな。自分に自信が持てないとだまされやすくなってしまう。そういう人でも「あの人の言っていること、本当かなあ?」と本能的に感じることはある。けれど、自分に自信がないと反論もできない。そうするとやはり言いくるめられることになってしまうのだ。

ふたつめは頭を使う習慣がないと、間違ったことを聞いても自分の頭で考えてそれは違うと見破ることができづらくなるという理由。脳みそは使ってあげないとあまり働かなくなくなるなまけ者らしいんだ。たとえば周りのみんなが間違った考えを持っていたとしても「みんなが言っているから」というだけで流されてしまう。「考えてもみなかった」と。だから勉強=自分の頭で考えるクセをつけることはとても大事。

以上のことから、将来の自分を不幸から守るためだと思って勉強した方がいいんじゃないかな、と思う。

 

人間は一生勉強を続ける

そして、「大人は勉強しなくていいな、宿題がなくていいな」と思うのは大間違い。国語や算数といった「教科」の勉強はなくなるけれど、実はデキる大人はお仕事のための勉強をしている。仕事と勉強の両立は意外に難しい。それでも自分の仕事に関係する本を読んだり、セミナーを聞きに行ったり、スキルを上げるために資格を取ったり。通勤電車の中で語学学習を続けている人もいる。

病院で立派に働いているお医者さんも、日々進歩していく医学を治療に取り入れるために勉強している。

お店屋さんも「どうしたらたくさんのお客さんに来てもらえるか」「どうしたらお客さんに喜んでもらえるか」と考えて他のお店を見に行って参考にしたり、接客の勉強をすることもある。

レストランのシェフも新しいメニューを考えるために食材の勉強をしたり新しい調理方法を学んだりしている。

会社でお仕事をしていない大人も日々勉強をしている。専業主婦のお母さんは家族に健康的でおいしいごはんを作るためにレシピを探したり健康情報を仕入れたりしている。しかも、そういうごはんをいかに節約しながら作るのかも毎日の生活のなかで研究している。

おじいちゃんやおばあちゃんになっても、孫とたくさんお話ができるようにスマホを使えるように勉強したり、パソコンを勉強したりしている人もいるし、長い人生の中で一度もやったことのない新しい習い事を始める人もいる。

ここにあげたのはほんのわずかな例だけど、多くの大人がいまよりももっといい自分になろうと思って勉強をしているんだ。

 

要するに一生涯勉強なんだけど、本当は小中高の勉強が一番つらいということは知っている。好きでもない教科や苦手な教科もやらないといけないし、テストや受験に追い回されるし、そういうことから逃げることもできない。私もかつては子どもだったのでみんなのつらい気持ちが少しはわかるつもり。正直言うと私ももう高校受験と大学受験はやりたくないと心の底から思っているし。

けれど、人生は子ども時代よりも大人になってからの方がずっとっずと長い。小中高の12年間、勉強で苦しんだとしても、大人になると好きなことを学べるようにもなる。私は勉強は高校時代からちょっと面白くなって、大学からすごく楽しくなった。高校でも大学でも苦手な科目はあったけれど、好きなことを勉強できる時間が増えるからね。

 

そしてここで正直に告白。

どしてここで「勉強した方がいい」なんて書いているかというと、自分が小中高でちゃんと勉強しなかったことをいまちょっと後悔しているから。

私は勉強がそれほど嫌いだったわけではないけれどとてもなまけ者であまり真剣に勉強に取り組まず、テストの前日に「あした地球がバクハツしてなくなっちゃえばいいのに!」なんて考えるような子どもだった。その結果、それなりの高校にしか進学できなかったし、ということは大学もそれなりだった。高校生活も大学生活も抜群に楽しかったけどね!

けれど、もしも生まれ変わったら、子どもの頃からちゃんと勉強して今世よりもいい高校と大学に進学して本当に就きたかった職業に就こうと思う。実は、本当に就きたかった職業は専門性が高くてそういう大学でしかるべき勉強をしないとなれないものだったんだ。高校のときにその仕事がいいなと思ったんだけど、それではちょっと遅かった。いまの仕事はなんとな〜く生きてきた結果手に入れたもので、その仕事も周囲からは面白そうなお仕事だと思ってもらえるようなものではあるんだけどね。

そして、いまは何を勉強しているのかというと、こうして毎日ブログなどを書くことで文章の構成や書くことの練習をしたり、知識を仕入れるために読書をしたりしている。それが役に立つことなのかどうかはわからないけれど、人間はいずれ全員死ぬ。そのときにお金やモノはあの世へ持っていくことはできないが、知識や努力したことや人を大事にしたり愛したりしたことは来世に持ち越しできるのだそうだ。例えば、モーツァルトは前世でも音楽をやっていたといわれているし、野球のイチローさんや大谷翔平選手も前世でも野球をやっていたといわれている。将棋の藤井聡太三冠もおそらくそうなのだろう。ということで、来世、いろいろなことをゼロからやり直しにならないように、いまできることはちゃんとやっておこうという気持ち。子どものみなさんにはちょっぴり残念なお知らせだけど、人間は一生涯、いや、生まれ変わってもまた生まれ変わっても勉強したり努力したりすることからは逃れられないのです。

 

勉強の苦しみを減らす方法

もしも勉強や努力などの苦しみを少しでも減らしたいのならば、早いうちに自分が本当に大好きなこと、やりたいことをみつけること。エンゼルスの大谷選手はものすごい努力をして今シーズンたくさんの記録を打ち立てている。けれど、周囲からはすごい努力にみえるけれど本人は野球に関することならどんな練習でも楽しいのだと思う。ご本人も野球にかけてきた時間は誰にも負けないとおっしゃっていたことがあるが、そんな風にみんなも自分が好きなことのためならば勉強もへっちゃらになると思う。

子どものみなさん、私も来世に向けて残りの人生でいろいろなことを勉強していこうと思います。なのでみなさんも、明るい将来を手に入れるためにいましばらく勉強に励んでみてくださいね。みなさんに明るい将来が訪れますように。

 

 

 

法華経が人類滅亡を救うというお話

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先日、飯田橋のヒカルランドパークに京都・蓮久寺の三木大雲住職の講演を聴きに行った。

三木住職は「怪談説法」で知る人ぞ知る存在。私も三木住職の存在を知ったのはYouTubeで怪談を聴いたからだった。そして、このご住職がすごいと思うのは、説法のために怪談を語っているところだ。私の祖父母も日蓮大聖人を篤く信仰していたのでとても親近感がわいた。

ところで日蓮宗は宗派によって日蓮聖人と呼んだり日蓮大聖人と呼んだりする違いがあるが、三木住職は日蓮聖人と呼んでいらした。しかし私の祖父母は「日蓮大聖人」「大聖人様」と呼んでいたのでこのブログでは日蓮大聖人と呼ばせていただきたいと思う。日蓮聖人にすると何だか格下げしたような気がして申し訳ないような気がするし、日蓮と呼び捨てで書くのも微妙な罪悪感を覚える。門前の小僧習わぬ経を読む的なアレなのだと思う。実際お経も読めるし。

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さて、私が聞きに行った三木住職の講演会は怪談説法ではなく、「時空とつながる≪UFO・魂・魔界≫講座」の【法華経は高次元存在からの贈り物】というものだ。タイトルが胡散臭いのはオカルト系の書籍やグッズを販売しているヒカルランドならでは。しかし私は三木住職の説法が胡散臭いとは思わなかった。日頃信仰と全く関わりのない生活をしている人にとっては充分オカルトなのだと思うが。

 

三木住職のお話の内容をここに全て書くわけにはいかないが、終末が予言されているといわれるお経について話されたことを書こうと思う。何しろ今年は聖徳太子生誕1400年、日蓮大聖人生誕800年という法華経を重んじたふたりの偉人の生誕の節目が重なる年。オカルトの世界では聖徳太子日蓮大聖人もお経を用いて終末を予言したといわれている。

 

三木住職は真理と悟りは別のものだと仰った。悟りというのは「人間は絶対に死ぬ」ということについて「わかった」ということ。真理というのは例外のない地球上のみんなに当てはまる法則で、悟りよりも前から存在している。そしてお経というのは、人生をゲームに例えるならばゲームの攻略本のようなもので、人生をこう生きるとこうなるということが書かれているのだそうだ。ところが、お経はたくさんあるが、効力を失うお経があるのだという。

  1. 正法:釈迦の滅後、その教えと修行を実践することで悟りを開くことができる1000年間
  2. 像法:教えを学び修行する者はいるが悟りを開く者はいない1000年間
  3. 末法:釈迦の教えは効力を失う。法華経の教え=南無妙法蓮華経でしか救われない

鎌倉時代、様々な宗派の高僧がいまは末法末法ではないか(南無妙法蓮華経を説く時代かどうか)悩んでいた。そこに日蓮大聖人が現れていまはもう末法だとして南無妙法蓮華経を説いた。だから念仏を唱えていた高僧も南無妙法蓮華経に一番力があるということを本当は知っていたのだとか。そのこともきちんと文書で残っている。

 

お経の中にはこれからこの世の中はどうなっていくのかも書かれていて、三木住職はそのお経に照らし合わせて2019年の12月のとある講演で「みんなの心が乱れているからこれから疫病が流行る」と伝えたというがそのときはちゃんと取り合ってくれる人はおらず席を立つ人までいたそうだ。しかし、実際にその後新型コロナウイルスが世界を混乱させている。2019年の時点で、本当に疫病が起こると三木住職には確信があった。お経の中には人心や世の中が乱れてくると三災七難といわれる禍が起きるとちゃんと書かれているからだそうだ。

また、世の中が滅亡に向かうときには順番があるようで、お坊さんが髪を伸ばし始めると虚空に大声が響き、地上にあるものは全部水車のように回って城壁は破れ落ち下り、建物は全部落ちる。草木はみんな枯れて全部ダメになる。正しい教えを実践した人たちの住む場所以外のところは全部なくなってしまう、と。いまは髪を剃らないお坊さんも多いらしい。

三木住職は虚空に大声が響き地上にあるものはすべて水車のように回って……というのはポールシフトを指しているのではないかと仰っていた。いま地軸がずれていることは多くの人が知っているだろう。

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末法に起きるという三災七難とは次のようなものだ。

≪三災≫

  1. 穀貴(こっき) 飢餓などによる穀物の高騰
  2. 兵革(ひょうかく) 戦乱
  3. 疫病(えきびょう) 伝染病の流行

≪七難(経典によって異なるらしい)≫

  1. 人衆疾疫難(にんしゅうしつえきなん):疫病の蔓延
  2. 他国侵逼難(たこくしんぴつなん):他国から侵略される
  3. 自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん):国内で反乱が起こる
  4. 星宿変怪難(せいしゅくへんげなん):天体の異変
  5. 日月薄蝕難(にちがつはくしょくなん):太陽や月が陰ったり蝕したりする
  6. 非時風雨難(ひじふううなん):季節はずれの風雨
  7. 過時風雨難(かじふううなん):季節になっても雨が降らずに干ばつになる

人心が乱れ正法(正しい教え)に背くとこれらの3つの災いと7つの難が起こるのだという。日蓮大聖人ご在世当時もそうだった。鎌倉時代は飢饉があり疫病が流行り幕府への反乱が起こり元寇があった。この三災七難がオカルト好きの間では有名な「日蓮の終末予言」といわれているものだ。こうしたカタストロフを避けるために大聖人は迫害覚悟で南無妙法蓮華経を説いた。正しい教えを説くと迫害に遭うことさえもお経に書かれているのだという。

鎌倉時代、正法を用いなければ国は滅びると説いた大聖人を鎌倉幕府は用いなかったばかりか幕府や諸宗を批判したとして捕縛。首を撥ねようと鎌倉の龍ノ口の浜にある刑場に引っ立てた。いざ処刑せんとしたときに江の島方面から飛んできた光の球に邪魔をされて首を撥ねることができないとなると佐渡流罪とした(三木住職はこの光球はUFOだったのではないかと仰っていた)。正しい教えを説くと迫害に遭うとお経に書かれていた通りだ。

日蓮大聖人がいった通り元が攻めてくると鎌倉幕府は手のひらを返して助言を求めたが、大聖人は身延山に籠もってしまった。これは自分の意見が受け入れられなくて世の中が嫌になって籠もったのではなく、強い祈りを捧げるために身延に入り、実際に神風を吹かせたのだと三木住職は推察されていた。

 

いまも三災七難の時代になりつつある。三災でいえば疫病の難はもう起きている真っ最中だし、小麦などの価格はどんどん上がっている。残すところは戦乱だけだ。

七難でいえば人衆疾疫難はやはり新型コロナにより実現してしまっているし、他国侵逼難は尖閣諸島竹島が当たるだろう。星宿変怪難はいまポールシフトが起きつつあるし、非時風雨難や過時風雨難は昨今の異常気象で身にしみている。

これらが全部起きると人類滅亡ということになってしまいそうだが、まだ全部の難が起きているわけではないから今なら間に合うと三木住職は仰った。では、大聖人がいない現代、我々は一体どうすればいいのか。それもお経の中に書いてあるのだと三木住職は教えてくれた。日本が戦争に巻き込まれないようにするためには善神捨国(いい神様が国を去る)されないこと。仏教をないがしろにすると神々は守護をやめて天上に帰ってしまい、国は荒廃して災害が起きる。お坊さんでない我々に唯一できることは神や仏に愛される生き方をすること、いかに正しく生きるかということだという。電車でお年寄りに席を譲ること、落ちているごみを拾うこと、そういったことでもいいからどんどん徳を積む生き方をすることなのだそうだ。

「正しいお坊さんが政治家や総理大臣にならないと助からないのではないか」と質問した方がいらしたが、三木住職はお坊さんに政治家はできないと答えられた。政治家は60%の人を助けるために40%の人を犠牲にするような決断をしなければならないが、お坊さんは平等に人を救うことを考えなければならないから政治はできないのだと。その代わり、正しい法を説くお坊さんや正しい生き方をする人を増やせばまだ間に合うと。

正しい生き方を自分も小さなことからしていこうと思った。

そして、祖父母が唱えていた法華経や題目は正しいし、力があるのだとあらためて感じることができた。祖父母はよく「困ったことがあったらお題目を唱えなさい」と言っていたが、幼い頃からそれで助けられてきたことがたくさんあったことも思い出した。

 

三災七難のことだけをピックアップして書いたが、本当はもっともっと面白いお話もたくさんあった。お経に書いてある通りに貧困から救われた三木住職の体験談、仏教は物理学だという話、お経の中にはブラックホールについても書かれているという話、どれもこれも興味深いものばかりで2時間ではとても足りなかった。聴き足りない。三木住職がzoom説法を開催していらしたら受講したいと思ったくらい。私は元々学生時代から講義が好きで日本史も大好きなのでワクワクした2時間だった。こんなにワクワクしたのは久しぶりだった。

 

 

 

 

真夜中の密かな愉しみ

私には週に2回、真夜中に外で密かに行う愉しみがある。

東京は夜遅くても通行人がいるから、せめて終電が終わってからでないとできない愉しみ。そう、そのときの姿はできれば誰にも見られたくない。

夜中の2時頃、私は静かにドアを開けて外に出る。東京のこのあたりは人や車がまったくいなくなることはほとんどない。だから私はドアを開ける前に心の中で呪文を唱える。「今日は誰にも会わない」と。自分が会わないと決めれば誰にも会わない。それが引き寄せの法則だ。

エレベーターに乗り込みマンションの1階に向かう私の片手にはごみ袋、もう一方の手にはトングが握られている。そう、私の真夜中の楽しみとは燃やせるごみの日の前の晩に行うごみ拾いなのだ。トングはごみ拾いのためにわざわざ100均で購入した。以前、何も入っていない透明なビニール袋を素手で拾って右手がパンパンに腫れあがってしまったことがあり、これは絶対にトングが必要だと思った。そうまでしてごみを拾いたい。

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昨今、ロサンゼルス・エンゼルス大谷翔平選手がダグアウトや球場のごみを拾うことで話題になっているが、私がごみ拾いを始めたのは大谷選手の影響ではない。いまから10年以上前にカレン・キングストンの「ガラクタ捨てれば自分が見える」を読んで掃除に目覚め、ガルスピちゃんねるというまとめサイトで掃除についての2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のまとめ記事を読んで掃除に対するモチベーションが上がって始めたのだった。ガルスピちゃんねるのまとめ記事の中に自分が掃除した場所は「霊的支配ができる」という考え方があり、すごく面白いと思った。いままでどことなく馴染めなかった場所(新居や職場)が掃除によって自分に馴染んでくるというものだ。別の言葉に言い換えるとオーラマーキングだろうか。家具や装飾品をプラスするのではなく、整理整頓や断捨離、掃除によってその場を自分色に染め上げていく。それにより獲得される居心地のよさ。ただ単に衛生的なだけではない掃除の奥深さを感じる。

 

真夜中のごみ拾いには自分の部屋の中だけでなく自分の住んでいるマンションごとクリアリングして全体的に運勢を上げていこうという魂胆も多少はあった。大谷選手はごみを拾うことは誰かの捨てた運を拾うことだと考えているそうだが、そういう風に考えたことはなくて目から鱗だった。しかし、ごみを捨てる側を考えると、その辺にごみを適当に捨てて他人様に迷惑をかけるということは確実に運を捨てていると思う。ついでに書いておくと、私はごみを平気でポイ捨てする人たちはトイレの後お尻をきれいに拭けていないのではないかと考えている。自分が出した汚いものを平気で人に始末させるような、ごみをばらまいて平気な精神構造の人が自分のお尻をきれいにできるとは思えない。ごみすら捨てられないのに自分の始末ができるのかと。わかるかな、このニュアンス。

 

汚い部屋はそこに住む人の精神状態を表している。部屋の中がゴチャゴチャしていると視界にその乱雑さが入り脳が疲弊するといわれている。その逆も然り。心が散らかっているときには部屋も散らかり放題になる。その考え方を広げていくと割れ窓理論になる。空き家の窓ガラスが割られたまま放っておくと次々とガラスが割られ、その地域の治安はどんどん悪くなっていく。ごみもうち捨てられたまま放置しておくとそこにどんどんごみを不法投棄されるようになる。そんな場所の治安が保たれるはずがない。

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私の家は繁華街に近いので真夜中に叫ぶ酔っぱらいがよく出没して治安がいいとは言い切れない。マンションの前に自動販売機が並んでいるせいで空き缶やペットボトルを入れる専用のごみ箱に家庭ごみや弁当のごみ、ブーム全盛期にはタピオカのプラスチックカップが中身入りのままたくさん詰め込まれ、街路樹の下にまで汚らしいごみがあふれ出ていた。マンション横の小路には夥しい数の煙草の吸い殻が捨てられている。このまま放っておいたら街は荒廃していくことになるだろう。私は自分が住んでいる場所に割れ窓理論のような状況を作りたくなかった。週に2回だけではあるが、私は真夜中にひっそりとごみ拾いを始めた。

そのせいかどうかわからないが、最近はごみが減っているように思う。いや、きっとコロナ禍で外出する人が減ったせいで平気で道端にごみを捨てる輩も出歩かなくなったのだろう。

 

そして私は今日とてもいいことを思いついた。

私は長年、外出先から帰ってきてマンションの前に落ちているごみが気になってもトングとごみ袋を持っていないため拾うことができないという問題を抱えていた。部屋に戻ってトングとごみ袋を持ってくるのは誰も見ていないのにいい子ちゃんぶっているみたいでしっくり来なかった。いつも「あ〜、せっかくごみが落ちているのに拾えなかった」と残念に思いながら部屋に帰っていた。そして、なんとかエントランスに自分専用のごみ拾いグッズを置いておけないものだろうかと長年考え続けていた。

そして、ついに私はひらめいた。それならば集合ポストの自分のボックスに使い捨ての手袋と小さなごみ袋を常備しておけばいいじゃないか、と。数枚入れておくだけなら郵便物の邪魔にもならない。どうしていままで思いつかなかったのだろう。それでも人目がないとき以外は拾わないという姿勢に変わりはないだろうが。

 

そんなこんなで私のごみ拾いライフは続く。大谷選手のように素晴らしい運を手にしているかどうかわからないが、ほんのわずかでも誰かの役に立っているかもしれないからよしとしよう。

 

 

 

日本語は美しい

日本語は美しいと思う。

子どもの頃から言葉に胸を震わせることがよくあった。

 

中学生の頃は国語(現国と読んでいたかどうか忘れた)の教科書で

不来方の お城の草に寝転びて 空に吸はれし 十五の心

という石川啄木の短歌に心を奪われた。

故郷にも松本城という質実剛健な城があるので余計に啄木の心がわかったというか、同年代だけに共鳴するものがあったというか。

 

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本のタイトルにもよく胸を打ち抜かれた。

上田敏の訳詩集「海潮音

堀口大學訳詩集「月下の一群」

ああ、なんと美しいタイトルなんだろう。

もう1冊、サガン「愛と同じくらい孤独」。これは原題は「REPOSES」。休息するという意味だ。これは言葉の美しさ以上に19歳の時に処女作「悲しみよこんにちは」で一躍文壇の寵児となり破天荒な人生を送ったサガンを思い編集者の力を感じた。

古い洋画の邦題も美しい言葉だと思うものがたくさんある。映画の邦題には原題と違うものが多いと聞くが、客となる日本人の心を射抜かなければならないのだからそれでいいのだと思う。ぱっと思いつくものだけあげてみる。

風と共に去りぬ

「誰がために鐘が鳴る」

「陽の当たる場所」

「慕情」

雨の朝巴里に死す

「巴里のアメリカ人」なんて、パリを漢字にするだけでもう格好いい。

 

万葉集にも本当に本当に素敵な歌があるのは多くのみなさまもご存じだと思う。

天の海に 雲の波立ち月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

これは柿本人麻呂が詠んだ。

命が震えるほど美しい。月の舟に乗って天の海に漕ぎ出す人麻呂が瞼に浮かぶ。

「星の林に月の船」私はこの句のように○○と□□のようにふたつの言葉が並ぶものも好きだ。

「東の地平・西の永遠」

萩尾望都作品は内容もさることながらタイトルも詩的だ。

 

昔、取材で訪れた喬木村の「椋鳩十記念館」の石碑に刻まれた

「活字の林をさまよい 思考の泉のほとりにたたずむ」

という言葉を見たときには雷に打たれたようにしばらく石碑の前から動けなかった。当時の私はその情景をありありと頭の中に描くことができた。

自分もこうなりたいとずっと思いながらそうなれないでいるが、少しでも椋鳩十に近づきたいとブログタイトルを「活字の森 思考の迷路」とした。

鳩十先生のように思考の泉のほとりまでまだたどり着けないでいる。