活字の森 思考の迷路

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【読書】「祈りの法則」天外伺朗

 

天外伺朗さんの本を読むのは初めてだった。

この本をチョイスしたのはAmazonのおすすめに出てきたこともあるが、個人的に祈りの力についてとても興味を持っているからだ。

 

天外伺朗さんはSONYで「CD」や「AIBO」などの開発を主導した、ちゃんと社会的に活躍された方である。本名は土井利忠さんといい、東工大工学科を卒業し東北大学工学博士でありエジンバラ大学名誉博士でもある。何がいいたいかというとバリバリの理系の方でありながらスピリチュアルに精通した方なのである。その方が書いた祈りについての本なのでどのようなことが書かれているのかとても興味を持ってページをめくった。

 

2000年、インディアンの長老から聖なるパイプを受け取った天外さんは20年にわたってパイプセレモニーというインディアンの祈りの儀式を続けてきた。

祈りというと病気、貧乏、不幸などの現実を変えたいとき、合格、結婚など自分がそれを得れば幸せになると信じている物事を手に入れたいときに行うもので、「現実を変えてやる〜!!」という強い気持ちが必用なものだとずっと思ってきた。それは幼い頃からそう教えられてきたからでもある。しかし、インディアンの祈りは違う。ただひたすら周りに感謝を捧げていくだけなのだ。天外さんもいろいろな人から祈祷を頼まれるが一貫して環境や周囲、出来事などありとあらゆるものに感謝を捧げていく。するとなぜか現実が好転し始めるのだ。

そして本書の中で天外さんは「『祈りの力』が強いと危険が伴う」と書いている。それは自分が望んだ結果を得るために現実を変えてやるという祈りの方で、インディアン式の祈りには危険はないそうだ。現実を変える祈りをすると現実を変えた反動で却って別の不運が襲ってくるなど安寧な人生を歩めるわけではないというのだ。天外さんの観察によると強い祈りの力を持った人は会社の経営は順調になっても不思議と精神を病んだ人を抱えていたり自殺者が出るケースがほとんどらしい。

 

厳しい修行により、とても強い「祈りの力」を身につけた方もいらっしゃいます。あまり世の中では知られていませんが、信じられないような奇跡的な祈りの例も、けっこうたくさんあります。これが「上級の祈り」です。

 ところが、このような「宇宙の流れ」をコントロールする祈り、というのは宇宙に歪みをもたらし、その歪みを受け止めなければいけません。

 

例えば大学合格を祈るとすると自分が合格することで他の人が落ちてしまう。それはエゴの祈りなので宇宙の流れから大きく逸脱してしまい、歪みが災厄として跳ね返ってくることになるのだとか。エゴの祈りをするとその結果割を食う人がどこかにいて、人の不幸の上に自分の幸福は築けないということになるのか。またそれはスピリチュアル界の一部で言われている「人間に自由意思はない」とか「人生は全てシナリオ通り」という説とつきあわせて考えるとどうなるんだろう。この説だと強い祈りで宇宙を歪ませることも生まれる前から決まっていたシナリオ通りということになる。

ただ私は以前から齋藤一人さんや小林正観さんの本を読んだりYouTubeで講演を聴いたりしているので「感謝が大切である」ということは馴染みのある教えだ。これからますます感謝の思いを強化していこうと思う。あらゆるものに感謝を捧げていこう。

 

しかし私がこの本の中で一番印象に残ったのは祈りというよりも怨念の話だった。

それは2000年の8月、天外さんがインディアンの長老・セクオイヤに誘われて平和祈願の儀式「サンダンス」に参加したときの話だ。

 

 サンダンスというのは、8月の満月をはさんでの4日間、飲まず食わずのまま、炎天下で踊るというインディアンの過酷なお祭りであり、これもホワイト・バッファロー・カウフ・ウーマンが伝えてくれた儀式のひとつだ、と言われています。

 ご先祖の霊を呼び出して一緒に踊るので、日本の盆踊りと似ています。ただ、娯楽化している盆踊りに比べてはるかに厳粛で、鬼気迫るものがあります。

 (中略)

 サンダンスのハイライトに、「ピアス」という儀式があります。

 長老が手術用のメスで背中(もしくは胸)の皮膚に2か所穴をあけ、そこに短い木の棒を通し、会場の中央に立てられた木とロープで結びます。ダンサーは、思い切り走ってドーンと木の棒に負荷をかけます。それを、皮膚がちぎれるまで何度も何度もくり返します。多くの人が血だらけになる凄惨な儀式です。

 セクオイヤの場合には、背中に4か所木の棒を通し、木の枝から垂らしたロープに括りつけて身体を空中に3メートルまで引き上げました。そこで、みんなでロープをゆさゆさとゆすり、皮膚が破れて落ちてくるまでやるのです。一般のダンサーより、はるかに凄惨でした。

 (中略)

 なぜこのような凄惨ともいえる儀式をするか?

 セクオイヤに聞くと、ここで自分たちが苦痛に耐えることにより、世界中の人々の苦しみを身代わりになって引き受けるという崇高な意味があると言いました。したがって、苦痛は強烈なほどよいそうです。

 私は、長年、白人から凄まじい迫害を受けてきたインディアンたちは、自分自身の身体を激しく傷つけないと気が済まないほどの激しい葛藤を抱えている、という感じがしました。

 

先祖代々の土地のみならず誇りも文化も取り上げられてしまったインディアンたちの苦しみは私が想像する以上のものだろう。

ほかにも松前藩のだまし討ちで殺害されたアイヌの英雄・シャクシャインがまだ成仏しておらず、天外さんのパイプセレモニーによって天に昇っていった話も出てくる。シャクシャインもやはりインディアンのような凄まじい怨念を抱えているというものの、同じアイヌが長年祈りを捧げてきたにもかかわらず成仏することがなかったのはなぜなのだろうか。

天外さんの考察はこうだ。

 

 アイヌが祈ると、どうしても怨念を上塗りしてしまうのかもしれません。自分たちも大和民族に対して深い怨念を抱いており、地縛霊の怨念と共鳴してしまうでしょう。その怨念から離れないと成仏できないのですが、祈り手が怨念を抱いていると、それは望めません。

 おそらく、この317年で大和民族が50人も来て祈ったのは初めてでしょう。先住民の和解であり、大和民族に課せられた宿題だったのです。

 

要するに大和民族がわびを入れた感じになったのではないかと。

 

いまも地球上では少数民族の弾圧が行われている。それを糾弾する側の国も先住民を迫害してきた過去がある。脛に傷のない国はないのかよ、といった状態だ。なぜ人間は先住民を迫害してまで領土や権力を広げていこうなどと考えてしまうのか。文明も文化も進化した。精神も進化させ凄惨な歴史をくり返さないようになってほしい。