活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

夢が戻ってきた(夜見る夢だよ)

先日、マルチタスクのやりすぎで脳が疲労して記憶力も効率も悪くなったし、夜、夢も見なくなったと書いた。

 

mori-meiro.hatenablog.com

 

そのため、家事をしているときになるべくYouTubeなどで講演や朗読を聴かないようにし、毎日ではないがマインドフルネスも取り入れるようにした。

その結果。

なんと、夢が戻ってきた!

夢は眠っている間に記憶の整理をする役割もあるそうだが、脳の疲労が取れてやっと情報処理をするようになったということなのだろうか。

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私はもともと夢を克明に覚えているタイプだ。19歳頃から明晰夢になったので夢を見るのが楽しくて仕方がない。それをここ2〜3年、ほとんど見なくなってしまって一体自分はどうしてしまったのかとおもっていたのだ。やっと脳も元に戻りつつあると考えていいのだろうか。

先日は子どもの頃住んでいた家に知らない女性とふたりで忍び込んだ夢を見た。どうしてそんな夢を見たのかと思い、夢の中の家にどのようなものが置いてあったか思い出そうとしていたが、家族に「その女の人って一体誰!?」と言われて初めて「あ、そういえば全く知らない子だったな。自分より若いような気がしたけど、確かに知らない人だ」と気づいた。多分20代のボブヘアの笑顔のかわいらしい女の子、白いセーターを着て、スレンダーな子だったな、一体誰だったんだろう。まったく嫌な感じも怖い感じもしなかったけれど。なぜその女性の登場にこだわるのかというと、その家は女の地縛霊が住みついていたりとても怖い家だったからだ。トイレの前にずっと立っている女の霊とか、寝ていると名前を呼んで起こしてくる女の声とか。あの家に住んでいるは毎日が恐怖体験の連続だった。しかし、夢に出て来た女の子はそういう怖い存在ではなかった。あの家はすでに取り壊されたと聞いたが、トイレの前の女も声だけの女も成仏できたのだろうか。

トイレの前の女については拙著「魂のいとまごい」に書かせていただいたのでご興味があればお読みいただけると幸いです。

 

 

さて、今日も少しマインドフルネスをしてから眠るとしよう。

この記事を書いてくださったみなさまも、楽しい夢を見られますように。

 

誰かの捨てた幸運を拾う

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先日も夜中にこっそりごみ拾いをした。

かなり遅い時間だったのをいいことに少しテリトリーを広げてみたが、そこはいつもガラの悪そうな車が違法駐車しているような場所で、夜通るのはちょっと嫌だなと思うような道。そんな場所だから、まあ、獲物の多さに驚いた。道路一面が吸い殻だらけだった。多分、社内の灰皿をそのままひっくり返して道路に捨てたのだろう。というかまるで節分の豆まきのように撒いたみたいだった。それのみならず、袋に紙屑やティッシュのごみ、液体風邪薬の瓶などを入れたものまで投棄してあった。隠れた場所でも道の端っこでもない。堂々と人目につく場所に捨てていったのだ。ティッシュと液体風邪薬って「コロナかよ!」とびびったが、私は誰かが捨てた幸運を残らず拾うことにした。そう、ごみのポイ捨ては幸運を捨てるような行為なのだ。

 

マンションのごみステーションに戻って常識のない人が道端に捨てていったごみの分別をしながら気づいた。いままでも道端に不法に捨てられたごみは何度も何度も目撃しているけれど、それらは一体誰が処分してくれていたのだろう?町内会の人?近所の人?ごみを捨てられてしまった道に建っている家の人?本当にイヤだっただろうな、やるせなかっただろうな、怒りをどこにぶつければいいのかわからなかっただろうな、とすごく心が痛んだ。私はと言えば誰かが捨てた幸運を拾ったような気持ちでいるから微妙にワクワクした気持ち半分と、こんなに幸運を捨ててしまってごみをまき散らした奴の行く末を考えて怖い気持ちが半分。

 

怪談説法の三木大雲住職が法華経を広める人のところには変化の人(へんげのひと)が現れてピンチを助けてくれる、お坊さんじゃない人たちは徳を積むこと。徳を積むと変化の人が現れるというお話をされていたが、ごみを捨てて人に迷惑をかけるような、徳と反対のことをしてしまっている人はどうなるんだろう。自分は全く良心も咎めず平気でやっているのだから案外何も悪いことは起こらないかもしれないけれど。何しろ悪いことをして地獄へ落ちるのは心の中に罪悪感があるからだという説があるから。ま、あの世の本当の仕組みは誰にもわからないけどな。ただ、人に迷惑をかけるような行動を日頃からするような人は周囲とのいざこざも絶えないだろうから幸せではあるまい。生活態度に苦言を呈されることも多いだろうし、身勝手さに呆れられて人が離れていってしまうことも多いだろう。ていうか、以前も書いたかもしれないけれど、こうやって自分のごみもちゃんと片づけられないような人は絶対に自分のお尻も綺麗に拭けていないよね。絶対にパンツ汚れているはずだ。お洒落で高級なブランド服を着ていてもだ。

 

それにしても、やっぱりガラの悪い道は汚かった。いや、汚いからガラの悪い車が集まっていたのか。破れ窓理論だな。

 

マルチタスクで脳がヤバイ

学生時代、音楽を聴きながらやテレビを見ながらの「ながら勉強」をしたことのある人は多いと思うし自分もそうだった。そして社会に出て働き始めると会議に出席しつつ手元で別の資料を作ったりするようになる。そうやって関係のない別々の作業を同時進行で行う人の方ができる奴、というイメージが強かった。

また私生活でもテレビを見ながら食事をしたりラジオを聞きながら家事をしてしまう。ひとつの作業だけを行うのは時間がもったいなく感じてしまうのだ。しかし実はこの関係のない作業を同時に行う「マルチタスク」という行為が脳にダメージを与えるのだそうだ。私はそのことをネットの記事で読む前に自分の能力、思考力、気力の急激な衰えから「もしかして脳疲労しているのかな?」となんとなく気づいていた。気づいていたが止められなかった。

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人間の脳は厳密にマルチタスク処理を行えないらしい。集中力を向ける先を素早く切り替えているだけで、決してマルチタスクで処理できているわけではない。それなのにマルチタスクを続けていると脳に大きなダメージがあり、放置すると若年性認知症にもつながりかねないらしい。ほかにも学習能力の低下、ストレスホルモンの過度な刺激のせいで頭にもやがかかったような状態になる、新たな刺激を次々と取り入れたくなるドーパミン中毒、記憶力の低下、IQの低下などの影響があるという。どれも恐ろしいものばかりだ。また、マルチタスクは仕事の生産性を40%も減少させるという研究結果もある。

 

私の場合、仕事でマルチタスクになるのはある程度仕方のないときもあるが、問題は私生活もかなりマルチタスクをだというところだ。食事中はYouTubeを見ているし、家事仕事をしているときには音楽を聴いたりYouTubeで誰かの講演会や本の朗読などを聴いたりしている。寝るときも朗読を聴きながら寝る。ひとつのことだけに集中している時間がほとんどない。家事だけしていると時間がもったいない気がするし、寝るときに静かだと布団の中で頭が高速回転を初めていろいろなことを考え出し眠れなくなってしまうのだ。

また酷いときにはYouTubeを見ている最中にニュースが気になってテレビをつけて、なおかつスマホでいろいろ調べ始めてしまうときまである。目の前に何の関連もない画面が3つ開いている異常な状態だ。

 

自分の思考力や集中力が落ちたなと感じ始めたのと生活のなかにYouTubeを取り入れ始めたのが同じ時期だということは薄々感じていた。

まず、朗読を聴きながら寝ると夢をほとんど見なくなった。元々は明晰夢を毎日見ていたのに。夢は私の想像力・創造力の源泉でもあった。

そして、自分を向上させるために何かを吸収しようと家事の最中に聴き始めた講演会や朗読もそれほど頭の中に残っていないことにも気がついていた。それでもながら聴きを止めることも寝るときのYouTubeも止めることができなかった。記憶力も思考力も行動力も低下し、人間としてどんどん能力が下がっていっているというのに。たくさん知識を吸収したいという欲望もあるが、それ以上に自分がいろいろと後ろ向きなことを考え始めるのを止めておきたいという気持ちがながら聴きから足を洗うことができない大きな理由だ。何かで頭をいっぱいにしておかないととんでもなく後ろ向きのことマイナスなことを考え、不幸な将来の妄想を始めるからだ。私はそんな恐ろしい未来を引き寄せたくないので自分のマイナス思考をどうしても止めておきたいのだ。

だが待てよ。脳が疲れているからマイナスなことしか考えないのかもしれない。脳が元気ならば私にもプラス思考を続ける能力を発揮できるかもしれないじゃないか。

今日から早速ながら聴きを止めてみようかな。寝るときの朗読も聴かずにおこうか。いや、絶対頭が冴えていろいろ考え始めてしまう。それならば明日からマインドフルネスを毎日の生活に取り入れるしかないかもしれない。マインドフルネスで頭の中のいらないものを処分しなければ痴呆まっしぐらの可能性も否めない。恐ろしや。

いつも疲れているのも脳疲労からきている可能性もある。今年は脳を癒して元気にして、はつらつとした人間に生まれ変わろうかな。

 

 

 

どうしても読み進められない

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面白い本、興味のある本はサクサク読めるのは普通だが、多少つまらない、読みづらいと思った本でも買ってしまったからには最後まで読もうと思う。

けれどもどうしても手こずってしまう本がたまにある。

私にとってはタデウス・ゴラスの「なまけ者のさとり方」がそのひとつだ。いや、もっとも手こずっている本と言ってもいい。

 

 

この本は数年前に一度読んだが、そのときも読むのに大変苦労した。一応読了したが目が滑っただけで頭には入らなかった。そして当然頭にも入っていない。

あのときはたまたま体調がそうだっただけでいまなら読めるかもしれないと思って本棚から引っ張り出して読み始めたが、状況は数年前と変わらない。何故だ。

 

なまけ者が悟るには難行苦行をするのではなく、自分自身にもっと優しくなり、いつも心に愛を持っていると悟りを実現できる……というのだが、いつも心をオープンにしておくとか、あらゆるものを受け入れ自分の中に取り入れるとか、何にもとらわれず愛に基づいて行動し、自分が気持ちよく幸せを感じることをする、とか、ゴラスさんはそもそもなまけ者でもなければ悟りから遠い場所にいる人でもない。どちらかというと体中の穴という穴から愛がダダ洩れている敬虔なクリスチャンといった感じだ。

そういう本がなぜ頭に入ってこないのかとても不思議に思う。普段、これよりも小難しい本も読んだりするんだけどなあ……。文章が自分に合っていないのかと思ったが、山川紘矢・亜希子夫妻の訳本はいままで何冊も読んでいるしなあ。

学生時代、文学の課題で読まされた五味川純平の「人間の条件」はすっごく自分に合わなかったけれど読了できたのになあ……。「なまけ者のさとり方」はそれほど長くないのに全く歯が立たない。読後の感想を書くつもりが、まさか読み進められないことを告白するはめになるとは。

他の人にもこういう「絶対に読み進められない、読んでも頭に入らない本」ってあるのかな。そういう現象を体験することあるのかな。私の脳が人並み外れて性能が悪いだけなのかな。

さとる前にいろいろと悩んでしまう。

 

 

 

 

大規模噴火と水害と郷愁

朝起きたらiPhone津波警報がいくつも入っていた。

「え?津波?寝ている間に地震来た?地震に気づかないほど熟睡してた?」

と混乱しながらテレビを付けるとトンガのフンガトンガ・フンガアパイという火山島が噴火した影響だという。専門家によると海底火山の噴火としては過去最大規模かも知れないとのこと。

ウイルスに火山噴火。試されるなあ、人間。

 

噴煙は午後3時頃には直径300キロ以上にも広がっていたらしい。

ということは、これは火山灰の影響で日光がさえぎられ地球が冷え込むということかな?

世界的に農作物、漁業など第一次産業に影響が出るかも知れない。

乾物や缶詰を備えておいた方がよさそうだな。それは今回のことに限らず地震や台風などの備えでもある。備蓄は大事だ。

あの大国がいろいろ買い占めることも考えられるから(もう日頃からしているという話もあるけど)世界中が食料を手に入れることが厳しくなるのかな。こういう時代になるとやはり土地がある方が安心して生活できるだろう。家庭菜園でいろいろ作りたいが残念ながらうちはマンションだし、空気が汚すぎてベランダ菜園を作る気持ちになれない。だって、雑巾でサッシやら手すりやらを拭くと真っ黒になるんだよ。真っ黒だよ。茶色じゃなくて。田舎者なので外の汚れと言えば土の汚れ。土の汚れと言えば茶色というか土色だと思っていたが、東京の汚れは真っ黒黒。まあ、温泉も黒いから関東ローム層の色かもしれないけど(知らんけど)。けれど、さすがに黒いベランダで野菜を作る気持ちになれないなあ。下を見下ろすと車がすっごいたくさん走ってるし、いい空気なわけない。大体東京は臭いし。東京に謎の悪臭が立ちこめているのは地方から上京してきた人ならみんなわかると思う。そんなこんなでベランダ菜園について考えるといつも思う。松本に帰りたいなー、と。

ロシアでは「ダーチャ」という菜園付きのセカンドハウスを持つ国民が多く、食料の大半を自給するそうだが、日本もそうした方がいいように思う。いま住んでいる都心の街も大好きだが、早急にベランダ菜園を安心して作れるような空気の綺麗な場所に引っ越したい。自分の場合はそれが故郷の松本だったりする。

 

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津波のニュースを見ながらまだぼんやりとした頭で考えた。今年は壬寅年で、壬は水の災害が起こりやすいから注意だといろいろな占い師が言っていたが、1月早々から津波なんて当たるの早いな〜、と。ただし、水の災害は洪水や津波など水がたくさん押し寄せることだけでなく、逆に干ばつも考えられるのだそうだ。こちらも水の蓄えが必用。水も占いや予言がどうとかは関係なく、いつでも備えておいた方がいい。

 

それにしても、ほんの数年前まではこんな世界になるとは思っていなかった。ウイルスのせいで家族や友だちに会えなくなるとか、震度5強地震がめずらしいものでなくなるとか。

家族や友だちと会えないが、一方でネットなどが発達した恩恵で離れた人と顔を見ながら通話することもできるし、メッセージアプリで気軽に言葉を交わすこともできる。これがまだ家電しかない時代だったら家族が離ればなれに住んでいる人たちはいまよりももっとずっと悲惨だっただろう。なんだかスペイン風邪産業革命がいっぺんに押し寄せてきたような時代だ。

 

 

 

「いいね」もらったからといって読まれるとは限らない

ブログを書いたあとTwitterでもお知らせしているが、信州松本ぺんぎん堂ブログと違ってこちらのブログを覗いてくれる人は少ない。

けれど、先日お気に入りのYouTubeチャンネルを紹介したブログをTwitterでお知らせしたときにはいくつか「いいね」をいただいた。やっぱりいいユーチューバーさんは人気だなあとファンのひとりとして嬉しくなった。

だがしかし、TwitterにいいねをくれてもTwitterから実際にブログを訪れてくださった方はいなかった。う〜ん、世の中実にシビアだ(笑)。

その一方で、Twitterで見かけたブログに自分の好きな人がどう書かれているのかはそれほど気にならないんだなとも不思議に思った。そりゃ、有名人の書く批評なら気になるけれど、無名の人間にどう書かれても……ということなのだろう。そりゃそうだ。自分でもそうだもんな。

などと書くと読者を増やすためにYouTubeを紹介しようと思ったのかと言われそうだが、なにも読者数を増やそうと思ってオススメのYouTubeチャンネル紹介を始めたわけではない。本当は毎日ブログを書きたいけれど、時間がないときに速攻で書けるネタとして自分が好きなもののことなら勝手に指が進む(昔なら筆が進むだけど)だろうと考えてYouTubeのことを書き始めたのだ。推しのことならスイスイ書ける、と。あとは、「こんなに素晴らしい動画を作っているのに再生回数が少なすぎてもったいない!!」とみんなに知ってほしいと思っているチャンネルも是非紹介したいと考えている。

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だがブログを書いていて一番気になるのは毎日きちんとブログを更新している人の素晴らしさよ。本当に脱帽する。私もこのブログがどこかに埋もれてしまわないように日々ネタ探しにも精進しなければ。最近ご無沙汰してしまったけれどまた今日から毎日更新できるように頑張ろう。

 

 

 

【オススメYouTube】ほがらか朗読堂

私はおそらく「ほがらか朗読堂」さんの再生回数にかなり貢献している。

というのも寝る前に3時間のタイマーをかけてほぼ毎日ほがらか朗読堂を再生しているからだ。途中で目が覚めてしまったらまた3時間のタイマーをかけ直して延々と「ほがらか朗読堂」を再生し続けている。もうこのチャンネルなしでは眠れないと言っても過言ではない。

 

「ほがらか朗読堂」はその名の通り怖い話やら2chや5chのスレ、Wikipedia青空文庫などをひたすら朗読してくれているチャンネル。BGMも控えめだし、大きな音をだして驚かさないし、個人的には入眠に最適だと思っている。12.2万人の登録者数を誇るが、そのうちの何割かは私のように入眠時に聴いているだろう。

 

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かなり初期から聞いてきたのでどんどんどんどん上達されていく過程も感じてきた。

声もキンキンしていないので聴き心地がよいし、2chや5chのスレを読むのが絶妙にうまいと私は勝手に思っている。そのカテゴリーで気に入っているのが「クワガタがいっぱいいるって有名な森で」。

 

 

これなんか聴きすぎてもう何回聴いているかわからないのに、流れてくるとニヤニヤしながら聴いてしまう。そのくらい読み分けが上手いし、感情の出し方が秀逸。

 

ほかの朗読チャンネルの怖い話を聴きながら寝ても怖い夢を見ることはそれほどないのだが、ほがらか朗読堂の怖い話を聴きながら寝ると怖い夢を見るので、自分独自の再生リストを作って怖い話以外の気に入った話ばかり集めて聴いている。なんて書いておきながら、実はほがらかさんを聴き始めたのは怖い話を聴き始めたのがきっかけなので、本当は怖い話の朗読も好きなのだが。

 

個人的には「怖くない不思議な話」「宇宙・UFO」「中国怪奇小説集」「宮大工シリーズ」などのカテゴリーが好き。物語の朗読は先が気になって眠れなくなってしまうので自分の再生リストからは外している。また延々とWikipediaを読んでいくカテゴリーも、wikiなんて読んでどうすると侮るなかれ。大変興味深くて以外といい。

 

小説の朗読ではたまに漢字の読み間違いなどがあって気になるが、ご愛敬ということで目を瞑って聴いている。それに最近は間違い減ってきたので、朗読がどんどん上達したのと同様にほがらかさんがすごく努力しているんだなと思う。

上達しただの何だのと偉そうなことを書いてしまったが、実際は毎日「今日は更新されているかな〜、どんなお話かな〜」とワクワクしながら更新を待っているただのファンである。