活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

願いの叶い方はひとつじゃない

 

人はどうしても叶えたい願いごとがあるとき「ほしい、ほしい、ほしい、ほしい………」「叶えたい、叶えたい、叶えたい……」と自分が願っていることが叶っていない状態、欠乏状態でその願いを心のなかで何度も何度も唱えたり考えたりする。

よく言われていることだが、実はこれは引き寄せ的にも潜在意識的にも逆効果だったりする。

引き寄せは思っていることが叶うと思われがちだが、実は心の中が現実化されるもので、「ほしい、ほしい」と渇望していると「ほしい状態」「渇望状態」が延々と引き寄せられてしまう。いちばん大切なポイントは「心が何を感じているか」ということになる。だからバシャールも「ワクワクすることをしなさい」と何度も何度も言う。

では渇望状態を絶対的に感じてはならないかというとそうではない。自分が何を欲しているのか知ることのできるツールだからだ。けれども自分が欲しているものや状態がわかったら宇宙にそれをお願いして、渇望感は速やかに手放したほうがよい。これはなかなか難しいと思うが思考も訓練だと思う。

心で強く感じたことが現実化するというのは私は日々感じている。

現在、大変な苦境にいるのだが、この状態は1〜2年前の自分が引き寄せたのだということは痛感している。仕事が嫌だと思ったから仕事が来なくなったし、住民税の金額を見てこんなに支払うの嫌だ〜〜〜!!と強く思ってしまった過去の自分を殴ってやりたい(笑)。

 

ところで、よく願望を現実化するには例えば100万円ほしいなら「100万円ほしい!」と具体的に念じた方がいいという人もいるが、「100万円に固執していると宇宙は1000万円あげようと思っていたのに『な〜んだ100万円でいいんだ』と思われてしまう」と言う人もいる。それはどちらが本当なのだろう?悩むのは嫌なので私は「100万円以上」と願おうかな(笑)。

そして願いを叶えるコツは「結果」だけを思い描いてそうなるためのプロセスは自分で考えないことだとも言う。自分の小さな頭で考えるプロセスよりももっともっと素晴らしい方法で宇宙は願いを叶えてくれるから、それを邪魔しないように。私はこれも本当だと思う。

 

私にはずっと昔の高校生の頃、プロセスに執着しないことで意外な形で願いが叶った経験がある。それは身長のこと。私はかなり小柄だ。幼児のときに撮った記念写真も自分だけ小さいし、小学生の時も常に前から2〜3番目の小ささだった。子どもの頃から小さいままで生きているが、高校1年生まではもっと大きくなりたいと切に願っていた。高校に入学して一時の気の迷いで運動部に入ってその思いは一層強くなった。小さいことが不利なスポーツだったからだ。165センチほしい。私は朝晩願うようになった。

すると、なんと!私の身長が急激に伸びて……

なんてことはなかったのだが、環境が突然変わった。なんとなんと「小さくてかわいい」と周りの人たちからかわいがられるように変化したのだった。お洒落を始めたとか、容姿端麗になったとか、そんなことはまったくない。ただただ「小さくてかわいいね」と突然チヤホヤされるようになった。そして私はいつの間にか高身長になりたいという願望から開放された。まあ、部活の方は小さいことで先輩たちからかわいがられるようになると同級生たちからのあたりが強くなるというつまらない人間関係でやめることになったのだけれど、それはそれで開放感ありまくりで辞めてよかったと思った。部活を辞めて以降の高校生活はパラダイスだった。背が低いというコンプレックスから開放されたことも大きかったかもしれない。そして私は高校生ながらに「願いの叶う形っていろいろあるんだな」と実感していた。物理的に高身長になる叶い方もあったかもしれないが、多分、小さいまま周囲の人からかわいがられることが私にとっては一番しあわせだったから宇宙はそのように叶えてくれた、というか「チビ」というコンプレックスを私から取り除いてしあわせにしてくれたのだろう。

思えばこの頃の私は魔法使いだった。そうなったらいいなと思ったことは大抵叶えることができていた。大人になった今でも急に思い出したように魔法使いになれるときもある。急にお金が必要になったとき、ほしいと思っていた金額が全然思いもよらないところから入ってきたり、「ぜーんぜんお金を使わないで海外旅行に行かれないかな〜」と思っていたら仕事でマカオに行くことになったり。マカオに行ったときには弾丸取材だったので自分自身のおみやげすら買っている暇がなく、本当に1円も使わずに帰ってきた(笑)。本当に宇宙さんは何でものぞみを聞いてくれるんだなと感心した。

今現在、叶えたい望みがあるのだが、それも自分がかつて魔法使いだったことを思い出して叶えていこうと思う。あ、いやいや、自分はもうとっくに大魔法使いだった。方法は全部宇宙さんにお任せする。ワクワクするような結果が出てこのブログで報告できるのが楽しみだ。

 

 

 

「ありがとう」を唱えることに効果はあるか

「ありがとう」をたくさん唱えると「ものすごくしあわせになる」「お金に困らなくなる」という話がある。まずは心をこめられなくても機械的に「ありがとう」と唱え続けるだけで効果があるのだと。

おそらくこれを最初に言い始めたのは作家で人間の潜在能力や超常現象などにも造詣の深かった小林正観さんだと思う。小林正観さんの宇宙論によるとありがとうを唱え続けると次のような変化があるという。

  • 25000回 第1ステージ。違う世界が来るらしい。涙がどっと溢れて2〜3時間泣き続けるらしい。それまで心を込めて唱えていなくてもこの数を超えると心の底から「ありがとう」が出てくるらしい。
  • 50000回 第2ステージ。
  • 10万回 第3ステージ。
  • 50万回 第4ステージ。
  • 100万回 第5ステージ。
  • 1000万回 第6ステージ。
  • 1億回 第7ステージ。1億回を超えるとお金の心配、経済の心配がいらなくなる。

確か25000回からだったと思うが、ありがとうと唱え続けていると見るものすべてが美しく輝いて見えるようになるという。それを正観さんは悟った瞬間なのだと言っていたと思う。ただし、悟りと言ってもブッダのようにずーっと悟りっぱなしというわけではない。それまで心にこびりついていた汚れのようなものが落ちたということなのかもしれない。

実は私はこれと似たような経験をしたことがある。私の場合は「ありがとう」ではなく「南無妙法蓮華経」を唱え続けた。その当時、私は大きな悩みを抱えていた。祖父母が熱心に日蓮を信仰していたため幼い頃から何かあったらお題目を唱えれば解決すると教え込まれてきた私は、そのとき1日3時間(約18000回くらいか?)題目を唱えようと決めたのだった。それで移動時間や頭を使わなくていい作業のときにずっと心のなかで「南無妙法蓮華経」と唱えていた。車を運転していても「南無妙法蓮華経」。キャベツを刻んでいても「南無妙法蓮華経」。掃除をしていても「南無妙法蓮華経」。仕事の合間にも「南無妙法蓮華経」。街を歩いていても「南無妙法蓮華経」。1日3時間だからそのくらいしないと完遂できない。しかし、それが2週間も続くと文房具だろうが食器だろうがごはんだろうが、見るものすべてが本当に輝いて見えてきて感動した。生きているのが楽しくなった。およそ1ヶ月位そんな生活をしていて、悩みが解決して題目を唱えなくなったら見える景色もいつも通りに戻った。しかし、唱え続けた結果、生活はガラッと変わった。あっという間に好転したといっていい。いまも悩みに苛まれているのでそのときのことを思い出して1日中題目を唱えようかなと思ったりするが、なぜか実行していない。あのときのパワーはどこへ行ったのだろう……。そう、唱え続けるためには心身ともにかなりのパワーが必要なのだ。

 

また、一方で斎藤一人さんは「ありがとう」を唱え続けてもそれが通じない日が来ると言う。「ありがとう」はいままで「ありがとう」も言えなかったような人が言うから神様や周りの人が喜ぶことでいいことが起きるが、「ありがとう」を言うのは当たり前のこと。マラソンで言うとスタートライン。だから「ありがとう」を唱えてしあわせが来る効果がなくなる日が来るのだと。「ありがとう」と言われる人になるのがゴールなのだそうだ。

そんな一人さんはある日夢の中で神様から「ありがとうゲーム」というものを教わったという。1日4回以上「ありがとう」と言ってもらうゲームで、月に100回以上言ってもらうのが目標なのだという。「どうも」とか「すみません」じゃ駄目で「ありがとう」じゃないといけない。それが何を目指しているのかというと、ありがとうと言うばかりじゃなくてありがとうと言われる生き方をしていきなさいということなのだと思う。「ありがとう」を言われる人生を送っていくと人生が開けるということなのだ。

一人さんはありがとうを唱え続けることには少々手厳しく、「おれの知り合いにありがとうをずっと唱えている人がいるけどそいつ嫌われてるよ」というようなことを仰っていた。その人が嫌われるのはありがとうを唱えることへの執着心が原因かもしれない。愚痴・悪口・文句・心配事などの「地獄言葉」を戒めている一人さんにしては「そいつ嫌われてるよ」なんて珍しい厳しい言葉だが、お弟子さんたちをありがとうを唱える人から言われる人へいざなうための手段なのかもしれない。

確かに「ありがとう」を言うよりも言われる人になる方がハードルは高いし、機械的に唱え続けるよりも「ありがとう」と言われる行動を心がけたほうが人格も磨かれそうだ。ただし、個人的には「ありがとう」という言葉自体には高い波動を感じるからありがとうを唱えることに全く効果がないわけでもなさそうな気はする。

ちなみに唱えるのは「Thank you」ではほとんど効果がないらしい。それは日本語の言霊に力があるからなのだとか。

 

「ありがとう」を唱えるといいことがある、人生が好転するというのには理由があり、小林正観さんの宇宙論では人間は投げかけたものが返ってくるといい、「ありがとう」と言えば「ありがとう」と言いたくなるような現象が返ってくるということらしい。「鏡の法則」と同じようなことだろう。

また、ありがとうと唱えていても不平不満・愚痴・泣き言・文句・悪口を言っていては何万回唱えようとすべて台無しらしい。言ったらまたスタート地点に戻ってしまうのだ。それはわかる気がする。お風呂に入りながら浴槽に汚れたものを入れているようなものだもんね。ありがとうを唱えるかどうかは別として不平不満・愚痴・泣き言・文句・悪口は言わないようにしたいと思う。私は日頃それほど人と接しないのだが、ありがとうゲームに少しでも参加できるように……というか、ゲームのことなんて意識しなくても人には親切に感じよく接したいものだと思う。

 

 

 

念じる言葉を変えてみる

マーフィーの法則引き寄せの法則が好きな人、またはスピリチュアル系の人たちにはアファメーションはおなじみだと思う。アファメーション以外にも特定の神仏やサムシング・グレートに祈る人も多いだろう。

そんなときによく言われるのが「叶えたいことは完了形で言う」ということ。例えば「お給料が1万円アップしたい」のならば「お給料が1万円アップしました!」といった具合に。そのあとに感謝の言葉を付け加えて「お給料が1万円アップしました。ありがとうございます!」とすればなおよし。「こうなったらいいな」と思ったことを「こうなりました」と断言し、なおかつ感謝の言葉も付け加える。それが叶う秘訣らしい。

また、マイナスの言葉よりもプラスの言葉のほうが幸せを引き寄せやすい。それはマザー・テレサが「反戦集会には行きませんが平和集会には行きます」と言ったことがわかりやすいと思う。最悪、「嫌い」よりも「あまり好きではない」、「悪い」よりも「あまりよくない」みたいな置き換えも大事らしい。実際に口に出して言い比べてみると波動の違いがわかる。「悪い」の方がずーんと下に下る気がするし、「あまりよくない」の方が「悪い」に比べて波動の下がり幅が少ないように感じる。

 

また、日本は言霊の国だからなおのこと言葉と現実がリンクしやすい気がする。

世界情勢がおかしな方向に傾き始めてから私は「日本を他国の侵略からお護りいただきありがとうございます」「日本を災害からお護りいただきありがとうございます」「日本を病気の蔓延からお護りいただきありがとうございます」と朝晩念じてきたが、その言葉を変えることを思いついた。

*「日本を他国の侵略からお護りいただきありがとうございます」→「日本の平和と自主独立をお護りいただきありがとうございます」

*「日本を災害からお護りいただきありがとうございます」→「日本の安全と安寧をお護りいただきありがとうございます」

*「日本を病気の蔓延からお護りいただきありがとうございます」→「日本人の健康をお護りいただきありがとうございます」

こんな具合だ。するとなんとなくマイナスの言葉を入れて念じるよりも気分がよい。引き寄せの法則でもバシャールでも気分がいいことが何より大事だからこれはいいかもしれない。気のせいというなかれ。かの万葉集柿本人麻呂

しきしまの大和の国は 言霊の幸(さき)わう国ぞ ま幸(さき)くありこそ

(この日本の国は 言葉が保つ力によって幸せになっている国です これからも平安でありますように)

と詠んでいる。

世界情勢も日本国内もいろいろなことがあるいまだからこそ言葉を大事にしていきたい。また、前回も三木大雲住職の「怪奇妙法伝」の感想で触れたように、神仏がこの国を去り始めているらしい。その理由のひとつに「言葉の乱れ→人心の乱れ」があるかもしれない。いまこそ日本の守りを固めるためにも言葉をバカにせず美しい言葉、プラス思考の言葉を使っていきたいと思う。

mori-meiro.hatenablog.com

 

 

 

お経が予言する終末を回避する方法

 

最近世界が、世の中がおかしい。

みんな怒っていて多くの人が攻撃的で、陥れたり陥れられたり、戦争を始めちゃった国もあったりして、一体どうなっているの?

そんな風に思っているのは私だけではあるまい。

本当に一体世界はどうなってしまったのか、その謎を教えてくれたのが怪談説法で知られる日蓮宗住職・三木大雲上人の「怪奇妙法伝」だった。Prime Videoで視聴できる。30分24本という大作だが私は一気に見てしまった。ちなみに「怪奇妙法伝」の「妙法」とは法華経を指す。妙法は日本においては聖徳太子の時代から大切にされてきたらしい。そして南無妙法蓮華経を広めたのが日蓮なのだ。

 

三木住職の元へは霊障に悩む人達から相談が寄せられ、障りをなす霊のために供養のお経を唱えるそうだが、あるときからそれがなかなかうまくいかなくなってきたと思うことがあるのだそうだ。

その理由として三木住職は神様がこの国を去っていってしまっているので神仏を勧請してお祓いしようと思っても手を貸していただけなくなってきたのではないか、と考えているのだという。ここで「住職の力が弱っているのでは?」と穿った見方をしてはいけない。神仏が国を捨ててこの世からいなくなってしまう、それがどういうときに起きるのかということがお経の中にちゃんと書いてあるといい、世の中がそのお経の通りになっているというのだ。

三木住職はコロナ禍が始まる前の2019年の大阪で行われた怪談イベントで「2020年を迎えるにあたって注意がある。来年には疫病が流行る可能性がある」と警告を発していた方だ。三木住職になぜそれがわかったのかというと「お経の中にそれが書いてあるから」だという。そして、神仏がすっかりこの国を捨て去ってしまう前に多くの人たちにそのことに気づいてほしいと活動している住職の警告の動画がこの「怪奇妙法伝」なのだ。なので楽しい怪談話を期待してこの一連動画を見るとおそらく大層がっかりすることになると思う。

 

さて、三木住職のおっしゃる「お経」の中には一体どんな警告が書かれているのか。

それはオカルト界隈では「日蓮の終末予言」として知られる三災七難だ。三災七難とはWikipediaによると仏教で正法に背いたり、正法を受持する者を迫害すると起こるとされる禍のことだ。日蓮は正しい仏法を受持しなければ蒙古が攻めてくると認めた「立正安国論」を時の執権北条時頼に提出したが、日蓮も三木住職同様しっかりと経文を読み解いてそのような予言をされたのだろう。

ja.wikipedia.org

 

神仏が国を捨て去ってしまうのは一体なぜか?

ただ単にお坊さんや仏教に背いているから起きる、ということでもなさそうだ。この動画を見たところで言うと、金光明経の中に「互ひに相讒諂して枉げて辜無きに及ばん(たがいにあいざんてんしてつみなきにおよばん)」という一文があり、それは現代に置き換えると罪を犯した人はもちろん罪のない人をもみんなでよってたかって文字や言葉で攻撃して叩きのめすことに当たるようだ。テレビやインターネットがない時代には村の中での罵り合いですんでいたものが、いまや世界中どこからでも一人の人を叩けるようになってしまった。または自分の正義を声高に主張したりお互いに足を引っ張り合う。すると仏教で人間の境涯を十種類に分けた十界(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の10種類)の人界より下の地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪趣と呼ばれるよろしくない境涯の方へ世の中がどんどん進んでいってしまう。これが神様が世の中からいなくなってしまう理由なのだという。

私は三木住職がこういったことを語る箇所を見て「わー、アメリカなんてまさにそうじゃん。トランプとかポリコレとか……」と思ったが、日本もそうだった。正義や平和を掲げていながら暴力的で怖い活動をしている人たちがよくデモをしている。自分とは主義主張が違う人が暗殺されたと大喜びする人までいる。それで日本の没落も始まったのか、と背筋が寒くなった。

世の中の人たちがお互いのことを責め合って許すことをしない。ほめることもしない。そういう世の中になっていくといままで神様が頑張って私たちを護ってきてくださった、助けようとした思いが無になってしまう。すると「この国に留まっていてもしょうがないなー」と思われてこの世から天にお帰りになってしまわれるのだという。いままさにそのような状況だといえないだろうか。みんなが悪口を言い合ったり他人の不幸を自分の喜びとするようになるとこの国が陰の気に包まれてそこが心霊スポットのようになってしまうらしい。幽霊が集まるとかそういうことではなく、あらゆる不幸や災いが集まってくるということだと思う。

 

三災の中のひとつに「疫病」というものがあり、三木住職はお経に照らし合わせて2020年より前の時点で「これから疫病が蔓延する」と確信したのだそうだ。ちなみにノストラダムスの大予言のときには前兆はなかったが、「今回は前兆があるから私は言っているのです」と三木住職は仰っていた。

そして三木住職が疫病の蔓延の次に来ると仰っていたのが、「穀貴(こっき)」という災いだ。穀貴とは飢饉などが起きて穀物などの価格が高騰したり品切れしたりして手に入らなくなるという災禍だそうだ。三木住職は「少なくとも私が生きている間に世の中は混乱する」と言い、多少言葉を濁しておられたが、穀貴は2024〜2025年の間には食べ物が不足し始めるのではないかと予測しておられた。最後に来る「兵革」の前に起こる現象もお経の中に書かれているそうなので、どうなったらそれが起きてしまうのかも知りたいところだ。

三木住職は直接「怪奇妙法伝」で触れてはおられなかったが、三災の残るひとつは「兵革(ひょうかく)」という災いで、これは文字通り戦乱や革命で世の中が乱れる災いだ。三木住職はこれら「穀貴」「兵革」が起きる前に世の中をなんとかしようと怪談説法に名を借りて活動されているようにお見受けできる。普通、末法思想とか終末思想というと世の中が乱れて人類滅亡という結末になるが、三木住職がおっしゃるにはお経の中にはそうならない方法(助かる方法)もちゃんと書かれているそうで、それを広めるために「怪奇妙法伝」も作られたのだろう。

その、世の中を終わらせない方法とは何か。三木住職は日蓮宗のご僧侶だが、日蓮宗に入れとか何かの宗教をしなさいということは訴えておられない。ただ、私たち一人ひとりが「徳」を積む生活をすることが神仏が戻ってきてくれる世の中を取り戻す方法だと仰っている。それは人に親切にすることだったり街に落ちているゴミを拾うことだったり電車でお年寄りや病気の方に席を譲ることだったりと誰にでもできることだ。

ということで私は何の徳を積んでいこうか、神仏を日本国にお戻りいただくために何をしようかと考えた。こっそりやっているゴミの日の前夜のゴミ拾いを続けること、仕事で仲間が大変そうだったら進んでお手伝いすること、電車で席を譲ること、人に接するときは笑顔でいること。そして、毒を吐かないことだと思った。ブログやTwitterで人に対する悪口や批判、読む人の恐怖を煽るようなことは書かない。不平不満、愚痴、泣き言、文句、悪口を言わない。そういう身の回りのできることからすぐにやっていこうと思った。

「怪奇妙法伝」は怪談だけを聞きたい人には物足りないし小難しいしつまらないだろうと思うが、私は怪談抜きでもっと詳しくお経の話を聞きたいと思ってしまった。三木住職もきっと本当はもっと本格的にお経のことを語りたいのではないかと勝手に勘ぐってしまったりもする。お経にはお経の中にすでにブラックホールの存在が書かれていたり量子力学的な話がかかれていたりもするらしいのでそういうことにもすごく興味を惹かれる。

そういえば、奇しくも明日10月13日は日蓮の命日だ。毎年10月11日〜13日まで日蓮入滅後にある東京の池上本門寺ではお会式という行事が営まれている。私は仕事があるので行ったことはないが、12日夜には100基以上の万灯という五重塔の形をした明かりを灯した立派な飾りが練り歩くらしい。あ、12日って今日じゃんね(汗)。コロナの縛りもゆるくなって外国人旅行客も受け入れるようになったから今年は盛大に行われたのかな?1回は見学してみたいなあ。

 

 

 

ドラマ「きのう何食べた?」は素敵な愛情物語

 

先日You Tubeでオススメされてテレ東の「きのう何食べた?」を観た。関連するような動画を観ていなかったのでどうしてオススメされたのかは謎だったが、観始めたら面白くて全12話+2020正月スペシャルを3日間で一気観してしまった。

原作である漫画の方は読んでいないのでそちらとの対比はできないが、なかなかに見応えがあり大人の愛情の物語が心にグッとくるドラマだった。詳しいストーリーなどは下のリンクをクリックしてください。

www.tv-tokyo.co.jp

ja.wikipedia.org

 

このドラマのいいところは愛情が激情型じゃないところ。主人公のふたり、シロさん(西島秀俊)は45歳、ケンジ(内野聖陽)は43歳。実際、いい年になったらそうなるよね。ケンジは激しくシロさんを愛しているけれども引くところは引いていて押し付けがましくない。シロさんの気持ちを慮って日々過ごしている。シロさんにとってケンジは理想の相手ではないから肩肘張らずに付き合えているということでシロさんの愛情はちょっと雑。ケンジにおいしいものを食べさせたくて毎日手に縒りをかけて何品も料理を作る繊細さと愛はあるのに、昔アイドルだった女優に心をときめかせたり、ケンジとの関係を周囲に隠したがったり、まるでふつーに異性同士のカップルの彼氏のようだ(シロさんの方が女性寄りらしいが……)。

主人公カップルの愛情もほんわかしているし、周囲の登場人物たちはキャラは濃いがこちらもほんわかしている。登場人物たちの人との距離感が本当にいいなと素直に思った。

ほかにも友人関係、親子関係といった間柄での関係性や愛情の描き方ですごいなと思った点を4つ書いてみる。

 

1.親子間の愛情への過剰な期待と演出がない

世間的には親が毒親でも「そうは言っても親子なんだから親孝行しなさい」的な風潮があるが、そういった話や演出がなかったところにも好感が持てた。

例えばケンジの父親はお酒を飲んでは家族に暴力を奮ったり金を無心してくる下衆な男だったが、ケンジはそんな父親と母や姉たちを近づけないし、中学生の時にすでに酔っ払った父親に「迷惑だから来ないでくれ」ときっぱりと言っている。現在、父は生活保護を受けているらしくケンジのもとに面倒を見られないか尋ねる文書が役所から送られてくるがそれもきっぱりと拒否。例え血がつながっていても家族や自分を苦しめる相手のことは拒否できる。それが冷たいとか責任放棄だと言う人たちもいるだろうが、こればっかりは毒親を持った人でなければわからない。下手に責任感でなんとかしようとすれば共倒れになるし、おそらく後悔しか残らない。世の中の慣例や世間体を気にして面倒を見ることにしたら最終的には親をいまの1億倍くらい憎んだまま人生を終えることになるだろう。

♯8に出てくるケンジの友人のゲイカップルのうちのひとりも親との確執があり「自分の築いた財産を自分が死んでも両親にはビタ一文渡したくない、パートナーと養子縁組して彼に残したい」ということで弁護士であるシロさんに相談している。

親族間の確執の強さは経験している本人にしかわからないし、血がつながっている方が憎しみ加減が半端ない場合もある。そういうところをメロドラマとして描かなかったところに私は心地よさを感じたし好感が持てた。

また、シロさんが正月に初めてケンジと両親を引き合わせるが、ここでも親子間の愛情が濃密すぎない。両親の深い愛情はあり、母親はシロさんがゲイだとわかった途端に新興宗教に走ってしまうくらい悩むが、描かれ方が重くない。シロさんも両親も気を使い合っているしそれぞれ認め合っているが微妙なすれ違いもある。けれどもそれをことさら大袈裟に取り上げたりはしない。シロさんと母親が料理を作っている間にシロさんの部屋でシロさんの卒業アルバムを見ながら語り合うケンジと父親。ケンジはシロさんはなぜ弁護士を目指したのかなど自分が思うところを語っていて、それがとてもよい話だったのに両親が気にしていたのはそんな精神性の話ではなく「ゲイである息子がいつも女装してるのかどうか」というところだった。ケンジが女装していないことを知って心から安堵する両親。家族の心配なんて案外そういうところにあるのかも。

 

2.ケンジの愛が半端ない

ケンジのシロさんへの愛情が海よりも深いことは置いておくとして、ケンジは周囲の人たちへの愛情も深く気遣いの仕方がさり気ないし外れていない。

シロさんと喧嘩したときも自然と仲直りできるように振る舞い、勤務先の美容室のスタッフともお客さんとも信頼関係を築き、シロさんの両親にもさり気なく気を使う。一回りほど年下の友人のゲイ航くんはとても生意気だが、ときどきかわいい対抗心を燃やすだけで航くんの嫌味な態度にも憎まれ口にも余裕で対応。ふっと見せる笑顔には「かわいい」と思っているフシもある。

乙女で情緒不安定なところもあるけれど、人として懐の深いところが見ていて感心する。あんな人になりたいなあと思わせてくれる愛情深さ。まるで菩薩のようだ。

 

3.役者さんの演技が半端ない

シロさんの西島秀俊、ケンジの内野聖陽はもちろん、脇を固める人たちの演技も本当に素晴らしかった。特に小日向さんを演じた山本耕史には笑わせてもらった。パートナーの航くんを「風と木の詩ジルベール」にそっくりだと思っており(実際にはちょっとむさ苦しい青年)、何かひどい仕打ちをされても「ああ、かわいい……」と独り言ち、航のために料理を作るシーンではムキムキの体にタンクトップという出で立ち。その姿がものすごく妖艶で声を出して笑ってしまった。おにぎりをにぎる手付きの妖しさはみんな見た方がいい(笑)。山本耕史恐るべし!と本気で思った。

また、内野さんの顔が漫画のケンジにそっくりに見えるときがあって、それも役者ってすごいなと感心した(似た人をキャスティングしたのかもしれないけど)。

 

4.料理が手頃

毎回誰かが作る料理をその作るところからきちんと見せるグルメドラマでもあるが、その料理に使う材料がペットボトル入りのだしつゆであったり安い食材であったり、明日真似してみようと思える料理の数々だった。グルメドラマだと調味料にまでこだわるというのがありがちで、実際このドラマでも小日向さんや両親に財産をビタ一文渡したくないカップルはグルメで調味料にも食材もお金をかけていたが、そっちの料理は作り方まで紹介していない。

これを見て私も明日から堂々とだしつゆに頼ろう!と思った(笑)。

 

劇場版もあるというのでこちらも観ないといけないなと思っている。

 

 

 

感謝すること

大きな声では言えないが私は自己啓発もスピリチュアルも大好き。というか不思議なことがワクワクして大好きだし自分を向上させたいし、その合体したものが自己啓発であったりスピリチュアルだったりするのだと思う。

スピリチュアルや自己啓発の評判が悪いのは、本から仕入れた情報や人から聞いた話を咀嚼せずに盲目的にしかもどこか勘違いしたまま実践している人たちがいるからだとも思っている。また、日本人は特にスピリチュアルに対する抵抗が強いので敬遠されがちだろう。だから私も他人様にはどちらの話もしない。本当は心ゆくまで語り合いたい気もするけれど。

まあ、幸せな人生だったらスピリチュアルや自己啓発に傾倒はしないということもわかっている。私の場合は幼少の頃から家が貧しく、大人になったいまもそれを引きずっているせいだ。

自己啓発でもスピリチュアルでも「あなたが貧乏なのはお金の悪口を言っているからです。人間もお金も自分の悪口を言う人には寄ってきません」と言う。

私はもちろんお金の悪口を言っていない。お金大好きだし。けれどもなぜか一向に豊かになれない。何ならいま人生最大のピンチにいると言っても過言ではない。

どうしてこんなことになっているのだろうか。お金の悪口も言っていないし、トイレ掃除も部屋の掃除もきちんとしているし、日々の出来事やいろいろなことに感謝もしているのに……。

というのがこれまでの悩みだった。けれども先日、私はあることに気がついた。

悪口は言っていないけれども心配や恐れの波動を出しまくっている、と。

支払いが心配、仕事が入るかどうか心配、この先どうなっていくのが心配、お金を使うのが怖い……私はこんな波動を出しまくっていた。宇宙はそれをキャッチしてそれと同じ現実を私に与えていたのだ。

ではそんな負の波動を出さないためにはどうしたらいいのか。まだそうなるとも決まっていない先々の不安をどうしたら考えないようになるのか。

ひとつには今に集中すること。暇だと碌なことは考えない。何か不安になってきたら自分の好きなことを速攻で始める。おいしいカフェオレをいれるだけでもいいし、工作をするのでも絵を描くのでも自分が楽しく集中できることをする。

もうひとつはいま自分が持っている豊かさを数えて感謝する。田舎の家族がお手製の梅ジュースとそれを作った梅の実を送ってきてくれた。毎年おいしい梅と梅ジュースを送ってくれることに本当に感謝。

私はやったことがないのだけれど、梅仕事って本当に手間がかかるらしい。傷をつけないようにきれいに洗って、ひとつひとつヘタを取って……。今年も本当においしくて、ジュースはあっという間に飲みきってしまいそうだし、梅もあっという間に食べ尽くしてしまいそうだ。

それからもうひとつ、お手製のブルーベリージャムも送ってくれた。

何の添加物も入っていなくて砂糖だけで作られているから早く食べるようにと言われていて、毎日パンの上に山盛りにして食べている。そのなんとしあわせなことか。ブルーベリーも本当に大好きだ。ベリーは正義。

家族から送られてくる愛情たっぷりな品にも毎日の生活にも自分をしあわせにしてくれる豊かさがたくさん宿っているなと気づく。そしてそれに気づく度にお金や将来への不安が薄らいでいく。感謝って本当にすごいなと思う。

 

それからいまは自分をしあわせを妨げているお金のブロックをはじめとする様々なブロックをはずして浄化することに決めている。ホ・オポノポノじゃないけれど、朝晩祈りの中でそれが可能なんじゃないかと思っている。外したブロックは天にお返しする。成仏しろよ、という感じで(笑)。

 

そんなこんなで今日も食べるものにたくさん感謝をしてごはんをたべた。なんだかんだしあわせなんだな、と思う。

 

 

 

昭和30年代の特撮は言葉が美しかった

今日も今日とてお昼ごはんのお供のYou Tube動画を探した。

食事中に無音は寂しいのでいつもYou Tubeに頼っている。以前はテレビを流していたが、昼時のワイドショーは見たい内容ではないのでもうここ数年見るのをやめている。

なぜかYou Tubeは以前見たことのある動画やあまり好みではない動画を多くおすすめしてくるし、どうしてこの動画を勧めてくるのかわからないものが多いが、テレビに比べれば見る番組の選択肢は多い。ということで一生懸命iPadをスクロール(というのか?)していると「東映特撮You Tube official」の「ナショナルキッド」という番組がオススメされていた。これもなぜオススメされているのかわからないがなんとなく好奇心で見てみた。以前観た昭和の白黒番組の「忍者部隊月光」も面白かったし、これも面白いかもしれないと。

 

 

ナショナルキッドの衣装はいま見るとちょっと面白い感じだが(というかいま目の前にナショナルキッドが現れたら笑ってしまう自信がある)、ドラマ自体は大変面白かった。

インカ族が金星から攻めてきたといういまなら南米の人たちに怒られそうな設定だが、調べてみるとインカ族は「地球人の無謀な核使用を止めさせるために来襲し、地球人を宇宙の敵と決めつけて全滅させようとするようなので何もかもが悪ではないから許容範囲なのだろうか?それともインカ帝国とは何の関係もないのだろうか?

番組の長さも30分弱とお昼ごはんの間に見るのに丁度いい。続きが気になったが、UPされているのは第01話、第05話、第06話の3本だけなので第01話の続きは見られないっぽい。

 

それにしても、昔の番組を観る度に思うのだが、登場人物たちが話す日本語がとても美しい。どのように美しいかというと大人でも子役でも美輪明宏さんのような言葉を使っている。相手に対するリスペクトと気品を感じる言葉遣いだなと感じる。現代は日本語の美しさが失われていっているような気がして寂しい。

また、登場人物が大人、というか変に若作りしていないし、言葉も振る舞いも大人。どうして昔の人達はあんなにも大人だったのだろう。以前、ネットで話題になった「太陽にほえろ」の登場人物たちの年齢写真を思い出してしまった。

togetterさまより拝借

ナショナルキッド第01話の主人公旗竜作青年もきっと現代ならもっとずっと若く見える男の子が演るんだろうなあ。ちなみに第01話の旗青年はあまり健康的に見えないという理由で第3部から別の俳優さんに変えられてしまったらしい。そんな理由も衝撃。知的で素敵だったのに。

 

第01話ではナショナルキッドがひとりで5〜6人のインカ族相手に戦っていたが、昔はヒーローよりも敵の人数のほうが多かったのかな。なんとかレンジャーは5人でひとりの悪人と戦っていたような……?ゴレンジャーあたりからそうなっていったのかな?特撮には詳しくないのでわからないが、多勢に無勢で戦うナショナルキッドはなんとなく正統派の正義の味方に感じてしまった。

You Tubeナショナルキッドはあと2本。これで明日と明後日のお昼ごはん時に観る動画は困らないな。