活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

ミニチュアハウスとマインドフルネス

昨年、コロナ禍で家から出られないときの暇つぶしにミニチュアハウスを作ったと記事にした。

mori-meiro.hatenablog.com

 

実はあのとき紹介したものの他にもミニチュアハウスづくりに精を出していた。

その完成品がこちら。

今回は花屋さんですな。

相変わらずライトがいい雰囲気を出している。

もう少し寄ってみるとこんな感じ。

屋根の上の鳥さんとピングーはキットに含まれておらず自分でつけた。

とても小さなお花をたくさん作るのが本当に大変で、このためにハヅキルーペ的な眼鏡型のルーペが付録になったムックを買った。なぜ大変かというと乱視で近視の上に不器用だから。普通の視力があってそれなりに器用な人なら難なく作れるのかもしれない。けれど、不器用でも下手くそでもミニチュアハウスを作るのは楽しい。実はいまもうひとつ作成中なのだ。

 

私はすぐに色々考え込んでしまう癖があるし、本来はあまりポジティブな方ではないので何かの作業に打ち込むことは落ち込むことや波動を下げることを防ぐことができるのでとてもいい感じ。そういった瞑想効果を得るために以前は大人の塗り絵を取り入れたこともある。塗り絵も工作も子供の頃から好きだったし、瞑想効果も得られるなんて嬉しい限り。

 

実際、塗り絵にはマインドフルネス効果があるらしい。

yogajournal.jp

塗り絵でマインドフルネス効果を得たい場合は自分で色を選んで塗るものよりも色が指定されているもののほうがマインドフルネス効果が高いらしい。どうも思考を動かして色をチョイスするのがマインドフルネス向きではないみたいだ。ということは、ミニチュアハウスづくりではそれほどマインドフルネス効果は得られていないということか。けれども気分の落ち込みを防いでくれているし、作っている最中は楽しいし、完成品を見ていると妄想が膨らんでくるしいいこと尽くめだ。

まあ、そのせいで寝不足気味になってハスキー犬のような隈ができ、先日Twitterに上げたイラストのような不気味な顔になるのだけれど、それはご愛嬌ということで。

 

 

 

おむつ用消臭ポリ袋の使い道

このブログにはたま〜に災害に備えての備蓄のことを書いている。

mori-meiro.hatenablog.com

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と言っても、備蓄のノウハウとかそういうことではなくて、何かに備えて食料を備蓄しておかないといけないな〜、とか、こんな備蓄品を買った、とか。

実際には水、缶詰や乾物などの食品と紙皿や紙コップを少しローリングストックしている。

それだけではない。私はお腹が弱いしトイレが近いからトイレが使えない状態はどうしても避けたい。なので非常用のトイレと猫砂も備えている。

しかし、ある日大変なことに気づいた。

これだけあればしばらくなんとかなるかなあ、なんてトイレで非常用トイレを入れた箱を眺めながらふと頭をよぎる「電気も使えなくなるんだよな……」という現実。換気扇だってもちろん使えなくなる。うちのトイレには窓がないというのに!!!!!!

これは大変だ!においがトイレにこもりまくるだろう。トイレ内だけに収まってくれればいいが、廊下や部屋にも漏れ出してくるかもしれない。しかも私は人様よりも鼻がいい。どうしよう。お一人様テントでも購入してベランダに臨時トイレを作るべきか………。いやいや、そしたら今度はお隣の家にもにおいをおすそ分けすることになるかもしれない。っていうか、ベランダでトイレってまるで野○じゃん!!音とかにおいとか恥ずかしいじゃん!!

少しでもにおいを抑えるにはどうしたらいいんだろう?

 

そして先日、散歩代わりに近所のダイソーをブラブラしているとある商品を発見した。効果はどうかわからないが即買いした。100円だし。それがこれ。

赤ちゃんのおむつ用消臭ポリ袋。

2〜3袋購入したが、効果の程はわからない。試すには気が引けるし。

 

ところで私は自炊派である。

簡単なものしか作らないがほぼ毎日台所に立つ。しかし、夏場はすぐ生ゴミが臭くなるので肉や魚を使った料理、ネギ類を使った料理はゴミの日の前日か使用済みのジップロックが出る日にしか作れなかった。切れ端や肉や魚が入っていた容器がすぐに臭い出し、ゴミ箱の蓋を開けたときの悪臭に耐えられない。そのくらいにおいに敏感なのだ。

そして数日前にちょっとひらめいた。

「あのおむつ用ポリ袋を使ってみたらどうだろう」

 

私はその日、鶏肉やネギを使った料理を作り、いつも通り生ゴミを普通のビニール袋に入れ、それをおむつ用ポリ袋に入れてしっかり口を縛って捨ててみた。

すると、なんということでしょう!

ほとんど臭わないではないか!

これは素晴らしい!

これなら使用済みの非常用トイレを捨てても臭いがかなり軽減できるかもしれない。

ということでこのポリ袋もローリングストックにしていこうと思っている。

災害なんて起きないほうがいいに決まっているけれど。

 

 

 

さよならATOK(号泣)

先日、仕事の都合でついにMacのOSをMontereyにバージョンアップした。今まで渋っていたのは使えなくなってしまうアプリが出るのが恐ろしかったからだ。

今回は使えなくなったアプリはなかったな、と思ったのだが、すご〜〜〜く大事なものが使えなくなっていた。それはATOKだ(涙)。今までも騙し騙し使っていたところはあったが、それがついに使えなくなってしまった。システム環境設定からATOKを復活させようとしたが、バージョンが古すぎてダメだった。私はずーっとATOK使いだったのでこれが恐ろしく不便だ。ことえりは終了しているはずだから何ていうIMEかはわからないが、この子の使い勝手というか私との相性があまりよくない。なんていうか、先回りしておせっかいな変換してくるのでかなりしんどい。一度変換した漢字を覚えてくれないのもしんどい。

しゃーない、買い直すか、と思って調べると何とATOKもサブスクになっているではないか!

世の中なんでもかんでもサブスクだけど、みんなサブスク地獄に落ちたりしないのかなあ。自分はAmazonだけでも primeと Kindle untitledがあるし、Apple系ではiCloudがあるし、そうそうYouTubeもpremiumだわ。その上ATOKまで抱えたらもう、ああ。頭痛いわ。

サブスク便利ですよ〜といろいろな企業が勧めてきて、単体で見れば便利なんだろうけど消費者の財布はパンクしないのかなあ?みんな本当にどうしているんだろう?

けれどもいまのままでは仕事の能率が下がりっぱなしなんだよなあ。

 

ということでとりあえずGoogle日本語入力をダウンロードしてみた。

……………。

…………………。

私にとってはATOKが神だということがわかった。けれどもキーボードの使い方はMontereyの子よりも使い勝手がいい。しばらくGoogle 日本語入力でやってみて、それでもダメだったらATOKをサブスクするか。

けれども、MontereyのIMEにもいいところはあって、絵文字や顔文字が変換できるのはブログを書く上でいいなと思った。Google日本語変換は顔文字は豊富だけど絵文字は変換できない。そのあたりはIMEを使い分けるといいんだな。来週くらいにはATOKぽちってそうだけどな。

 

 

【映画】友だちのうちはどこ?

映画情報

監督/脚本:アッバス・キアロスタミ

製作国:イラン

公開:1987年(イラン)、1993年10月(日本)

 

茶々丸的評価:⭐️⭐️☆☆☆

 

あらすじ

イラン北部、コケル村の小学校。宿題をノートにやってこなかったのが3回目となったモハマッド=レダ・ネマツァデは先生にこっぴどく怒られていた。モハマッドは紙切れに宿題をやってきたが、どうやらそれでは許されないようだ。隣の席で友だちが叱られて泣き出した様子を見守る主人公のアハマッドも不安そうに怯えている。モハマッドは次にノートに書いて来なかったら退学だと言われていた。

アハマッドは家に帰って宿題をやろうと鞄を開けると自分のノートと一緒にモハマッドのノートまで持って帰ってきてしまったことに気づく。このままでは自分のせいでモハマッドが退学にさせられてしまう。アハマッドは遠く離れた村に住むモハマッドの家にノートを返しに行こうと決意。母の目を盗んでいくつも丘を越えた先にあるモハマッドの家を目指す。ただ、アハマッドはモハマッドの家がその村のどこにあるのかを知らなかった……。

 

この映画はずっと昔、図書館からVHSを借りたが貸出期間中に観ている時間がなくて1分も見ずに返却してしまった。それがAmazonプライムにあったので観てみようという気になった。

この映画に対する事前情報は何も持っていない状態で、ただ何となくほっこりしたいな〜と思って観たのだった。

だが!!!!

ほっこりしない!ぜ〜んぜんほっこりしない!

人生のつらさと理不尽さを感じる映画だった。

まあ、数々の映画賞を受賞した作品ではあるのだけれども、これは異文化にかなりの理解がある人じゃないと心穏やかに観ることができないと思った。

まず、この映画に出てくる大人たちは全員子どもの話に耳を貸さない。アハマッドは最初ちゃんとお母さんに「モハマッドにノートを返しに行きたい」と訴えるのだが、お母さんはアハマッドが宿題をやらずに遊びに行きたいから嘘を言っていると思っているのか全くアハマッドの言葉に耳を傾けない。さっさと宿題をやれと言っておきながら宿題をやっているアハマッドに赤ちゃんの面倒を見ろと言ったりタライを取ってこいと命令したり、集中して宿題をやらせる気もなさそう。家のお手伝いをするのが当たり前の国でありそれは正しいと思うけれど、何だか言っていることとやっていることが一貫していない。そして、友だちを思うアハマッドはお母さんの目を盗んでモハマッドの村に出発することになってしまう。だって自分のせいでモハマッドが退学になるなんて耐えられないから。

そして日本に住む我々の常識だったら遠く離れた村に行くのならバスか何かの乗り物に乗って行くと考えるところだが、そこはイラン。何とアハマッドはランニングでいくつも丘を越えてモハマッドの住む村を目指すのだ。無限体力か。

モハマッドの家がどこにあるのか、出会った大人たちに聞いていくのだが、親切に教えてくれる人はあまりいない。教えてくれても「あっちだよ」とか、そんな感じ。

やっとモハマッドを知っているおばさんに会うが「さっきコケル村に出かけて行ったよ」と言われる。そこはアハマッドの住んでいる村だ。アハマッドは大至急自分の村に引き返すとそこで「ネマツァデ」と呼ばれるおじさんに出会う。ネマツァデはモハマッドの苗字だ。そこでアハマッドは「モハマッドのお父さんですか?」と尋ねるが、この男はアハマッドからモハマッドのノートを無理やり取り上げるとそこから何ページも紙を破り取ったくせに自分がモハマッドの父かどうかという問いには一言も答えずにロバに乗って去って行こうとする。追いかけるアハマッドはまたまたモハマッドの住む村に来た。そしてそこでその男がモハマッドのお父さんでないことを知り、またアハマッドの家探しの放浪が始まる。

結論を言うとアハマッドはモハマッドの家にたどり着いてノートを返すことはできなかった。

その代わりアハマッドはモハマッドの宿題を代わりにやり、翌朝先生に見せる。先生はアハマッドがやったモハマッドの宿題をみてよくできましたとまるをくれる。要するにアハマッドがやったということはバレなかった。あんなに厳しく怒っていた割には本人がやったかどうかには気づかない。アハマッドの苦労は一体何だったのだろうか。

映画中にはアハマッドのおじいさんも出てきてアハマッドに理不尽な用事を頼むが、それは躾の一環だという。言われたことはどんなことでも1回で聞くように、たまにはゲンコツをくれて教え込むのがいいのだそうだ。その訳は、おじいさんが若い頃、道路工事をしていた人が工事が終わったら道路が5センチ(だったかな?)短くてその分の工事を後でやることになった。その友人の賃金は外国人労働者の半分だった。どうしてなのかおじいさんが尋ねると友人は「外国人は言われたことを1回でやるから。わしらは2回言われないとやらないから」と答えた。それで、そんなことにならないようにおじいさんは自分の息子も孫も言うことを1回で聞くように躾けるためにわざと理不尽な用事を言いつけるらしい。

けれども、どう見てもここに登場する大人たちに比べてアハマッドやモハマッドなど子どもたちの方がちゃんと相手のことを考えて行動している、心優しい人に見えるんだよな。大人たちは子どもの言うことに耳を貸さないのがいいことだと、それが結果として自分のためにも子どものためにもなるんだと考えているように見えてしまって。おそらくそれがイランでは正しいことなのだろう。

私がこれほどまでに大人が子どもの言葉に耳を貸さないことに腹が立つのは多分、自分も子どもの頃に同じような目に遭っていたらだと思う。例えば、家で水道を使っていないのに水道メーターがクルクル回っていることがあって、どこで水漏れしているのか大人たちが探していたことがあった。幼い私は庭の一角から水がピューピュー出ているのを知っていたのでそれを一生懸命伝えたのだけれど「チビは黙っていなさい」「家の中で遊んでいなさい」と誰も私を信じてくれなかった。小学生の時には「昨日、具合が悪くて宿題ができませんでした」と朝、担任の先生に言うと、先生は「わかった」と言ったのにいざ授業が始まったら「どうしてやって来なかったんだ!」とみんなの前でビンタをかまされた。そういうことが度々あった。なんか、そういう昔のちょっとしたいや〜な記憶がいろいろと蘇ってきてアハマッドの周囲の大人たちにも妙にむかついてしまったのだ。そう考えると日本もイランも変わらないのかな???

最後、代わりにやった宿題がバレなかったことでアハマッドが変な要領を覚えければいいなと思ってしまった。この時は上手くいったけれど、次は友だちのノートを持ち帰らないようにしようとだけ学んでくれればな、と。それともイランの常識では騙して自分が損をしたり苦労しなくて済むのなら騙した方がよいと学ぶことが正しいことなのだろうか。

気候や風土が違えば文化も常識も生き方も変わる。そんなことを思い知らされた映画だった。

 

 

 

 

 

塗香の効果

ここ1年以上もう何かに祟られているんじゃないかと思うくらい運気が停滞していると悩んで以前から気になっていた塗香(ずこう)を使ってみることにした。

塗香とは香木や漢方の材料などのお香の原料をきめ細かいパウダー状にして混ぜ合わせたもので、お寺の参拝や写経のときにお清めのために手に塗り込んだり香水の代わりに使ったりする。最近では心霊スポットに行く人が予め手に塗香を刷り込んでいくこともあるようだ。

そんなわけで何かに取り憑かれていりゃしないかと疑わしい自分を清めるために1回試してみようと思ったのだ。

本当はお店で匂いを嗅いでから買いたかったのだが、近所の商店街の仏具やさんをチラッとのぞいたところないようだったし、Amazonで買うことにした。

レビューを参考にしながら選んでいると「カレー臭がする」というレビューのついたものもあった。原料にクミンでも入っているのか。

カレーの匂いを振りまくのはイヤなので「カレー臭くない」という評価の付いたものを試しに買ってみた。それが下の写真。松栄堂塗香【極品】。

 

 

パッケージを開けるとお寺のお香をもっと甘くした匂いがする。

ほんのひとつまみだけ手に刷り込んでみた。

すると………

なんということでしょう!!!!

突然頭がシャッキリとした。急に思考がクリアになったというか、気付けになって元気になった。これは心霊的な意味よりも漢方的な効果がやアロマセラピー的な効果があるのだとみた。

 

しかし、そんな素晴らしい効果が得られたというのに実はまだ2回しか使っていない。

匂いがとてもキツイからだ。

手に刷り込んだ直後はお寺の匂いだが、しばらく経って体温で温まってくるとこれが何故かキャラメルポップコーンの匂いに変化する。食べていないときに食べ物の匂いを嗅ぐのは苦手なのでちょっとこれはなあ、と思った。「あなたキャラメルポップコーン臭いですよ」といわれるのもイヤだし。しかも、シャワーを浴びてもうっすら匂うくらい強い。

仕方ないのでさっさと何か他の用途でも使い切ってしまおうと思い、用途を考えているうちに「掃除に使った」「猫のトイレの臭いが消えた」というレビューがあったことを思い出した。これなら毎日使えるかもしれない。そこで玄関にほんの少量の塗香を撒いて拭き掃除してみることにした。お清めにもなりそうだし。

すると………

なんということでしょう!!!!(2回目)

玄関にカレーのにおいが充満することに!!!!(泣)。

いやいやいやいや、まさかのカレー臭がここで出るとは。

このカレー臭も3日くらい消えなかった。加齢臭じゃないだけいいか。いや、どちらもよくないけど。「猫のトイレの臭いが消えた」というのもこの強烈な匂いでマスキングできたからなのだろうか。そんな気がする。いや、もしかしたら原材料に排泄物に消臭効果のある漢薬が使われているのかもしれないけど。

普通に袋を置いておくとお寺の匂いなんだけどなあ……。この匂いのまま変化しなければなあ。

この商品の名誉のために書いておくとAmazonのレビューにはこの香りに満足する声も多かったし、自分も頭がスッキリして元気になる効果を得られた。匂いには好き好きがあるので、私には合わなかっただけでスッキリ感も得られる。

この商品が塗香には効果があると教えてくれたので違うメーカーの塗香も試してみることにする。

 

あ!!

何かに祟られているかもとか憑かれているかもとか考えて塗香に手を出したのだが、そういえば私は守護霊が悪いものからとてもよく護ってくれているのだということを思い出した。ということは何かに祟られて云々というのは単なる妄想でしかないだろう。いや、運命が好転しないことへの言い訳をしたかったのかもしれない。後ろのみなさん、いつも護ってくれてありがとうございます。そして押しても引いても運気がびくとも動かないと思っていた運気がいまは徐々に動き始めている。そのことにも感謝。

 

 

 

【読書】運転者

「運転者」喜多川泰 この本の存在は出版当初から知っていた。

本屋に平積みになっていたし話題になっているみたいだったし。

けれど、へそ曲がりの自分は流行りの本はあまり手にしない。だから発売当時は読まなかった。それを読んでみようと思ったのはよく視聴しているYouTubeチャンネル「ハッピー研究所」で紹介されていたからだった。

 

 

ショウさんの語り口が柔らかく温かなため、登場人物にも好感を抱いて読んでみる気になった。

しかし、読んでみると主人公の修一はなかなかに不機嫌で営業のためだけに愛想をよくするようなどこの会社にもいるイヤな同僚のタイプ(笑)。私はイライラしたおじさんは苦手なので読み始めたときには正直「失敗したかな……」と思ったのだが、この物語はそんなどこにでもいる不機嫌営業マンが人生で大切なことを学んでいくお話だった。

ざっくりとストーリーを書くと……

完全歩合制の生命保険会社に転職した修一だったが、完全歩合制のため2年目からは収入激減になる可能性も高い。しかも新規契約を取った20人から一度に解約を求められ、収入がマイナスになる危機にあった。夫婦仲もそれほど上手くいっているわけでもないし、娘は不登校。仕事でも私生活でも大きな問題を抱え、毎日が不機嫌だった。

そんなある日、修一の元に1台のタクシーが現れる。自分の意思とは関係なく乗り込んでしまった修一だが、このタクシーは修一の人生を変えるのが仕事だという不思議なタクシーだった。乗車賃は金ではなく溜まったポイントから差し引かれていく仕組みの謎のタクシー。一体何のポイントなのか修一にはわからない。一体、このタクシー運転手の正体は誰なのか?そしてタクシーに使われているポイントの秘密とは?

修一はこのタクシーに導かれるまま人生の転換点へ行くことで「運」とは何か人生で大切なこととは一体何かを学んでいく……。

というもの。単なる小説というよりも自己啓発小説とでもいったような内容だった。

自己啓発的なないようではあるが小難しいことはなく、あっという間に読めてしまうので通勤電車の中で読んだり、就寝前の読書に最適だと思う。

私が本書を読んでなるほどなと思ったのは運はいい・悪いではなく貯めて使うものという考え方だった。

修一を乗せるタクシーの運転手「御任瀬卓志(おまかせタクシー)」はこう言う。

ポイントカードと一緒で、「いい・わるい」「ある・ない」ではなく運は貯めて使うものなんです。努力をして結果が出ない場合は貯めているだけで後に報われるんです。

私はこれで「徳を積む」という言葉を思い出した。「陰徳あれば陽報あり」も。

どんなことをすれば徳が積めるのかはわからないし、自分では徳を積んでいるかもしれないと感じているごみ拾いや電車の中で席を譲るなどの行為もどれほどの徳になっているかはわからないし、実際何をすれば徳を積んでいることになるのかもわからないが、だからといって何もしないよりはほんのちょっとだけでもいいから人の役に立つことができたらいいなと思う。

 

修一は不思議なタクシーによって運命が変わる場に案内されるが、実際にはちっとも運が掴めない。話が違うじゃないかとさらに不機嫌になっていく。そんな修一に向かって御任瀬卓志はどうしたら運が掴めるのかについてこう語る。

運が劇的に変わるとき、そんな場、というのが人生にはあるんですよ。それを捕まえられるアンテナがすべての人にあると思ってください。そのアンテナの感度は、上機嫌のときに最大になるんです。逆に機嫌が悪いと、アンテナは働かない。最高の運気がやってきているのに、機嫌が悪いだけでアンテナがまったく働かないから、すべての運が逃げていっちゃうんです。昨日のあなたみたいに。

そう。誰だって機嫌の悪い人に近づこうとかいい話を持っていこうとは考えないはずだ。しかし、自分は毎日イヤな仕事イヤな人間関係に囲まれていると思い込んでますます自分を不機嫌にして運を掴めない人は意外と多いのかもしれない。

私は15年くらい前に齋藤孝さんの「上機嫌の作法」という本を読んでから上機嫌でいることを心がけてきた。不機嫌になって周囲の人に「さあ、私の機嫌を取りなさいよ!」みたいな雰囲気を振りまくのは大人のすることではないと思ってできるだけ機嫌よくいるように心がけている。それで運が掴めたのかといわれると現状の生活をみるとお恥ずかしいのだが。けれどもいつも不機嫌で不平不満・愚痴・文句・悪口を垂れ流しているよりはよっぽどいいかなとは思っている。

 

さて、本書の後半ではこの不思議なタクシーの正体も何となく明かされる。

それは第二次世界大戦で戦死した修一のおじいさんにまで遡るのだが、それは本書を読んでのお楽しみ。ただ、自分も祖父が非常に若くして戦死しているので他人事には感じられなかった。日本の繁栄もお国というか家族や愛する人を守るために戦地に赴いた若者やお父さんたちがいてくださったおかげだと思っている。私の祖父もきっと愛する妻と赤ちゃんを残して戦地に行くのは断腸の思いだっただろう。

 

そんなわけで本書は何をやっても上手くいかない、どうしたら運が掴めるんだろうと悩んでいる方にお勧め。ただし、自己啓発にはアレルギーがある方はなかなかページが進まないかもしれない。

 

 

 

潜在意識で大魔法使いを目指す

苦しい現実から抜け出したい……

どうしても叶えたい思いがある……

そんなときに努力ではもうどうにもできないと感じ、スピリチュアル方面に目を向けて「思考は現実化する」や「引き寄せの法則」「潜在意識」を知った人は意外と多いと思う。かく言う私も引き寄せや潜在意識の力を信じているひとりだ。

 

引き寄せの法則」や「潜在意識」に出会ってアファメーションやイメージ法で望むことを潜在意識に刷り込もうとチャレンジしても、なかなかうまくいかない人も多いようだ。潜在意識に言うことを聞いてもらうにはコツがいる。

まず、潜在意識さんは我々の思いを忖度してくれない。思ったことを「言葉通りに」どストレートに叶えてくれる。なので「○○になりたい!」と思えば「○○になりたい!」という現実だけを引き寄せてくれるので永遠に「なりたい」自分から脱却できない。「○○がほしい!」と強く思えば延々と「ほしい」と想い続ける現実を実現し続ける。

そこで潜在意識さんにお願いするときには完了形でお願いしないといけない……というのは有名な話だ。「私は○○になることができました」「私は○○を手に入れることができました」という感じで。このあとに「ありがとうござます!」もつけるともっといいらしい。

こう考えてみると潜在意識を使って夢を叶えるための一番の敵は「渇望感」なのだろう。渇望感から願いが生まれるわけだが、現実化させるためにはこの渇望感を満たしてすでにあるように感じないといけないらしい。だとしたら日頃から空想や妄想に浸っている人は夢の現実化にとても近い場所にいると言っていいだろう。その得意の妄想スキルが現実化のための強力な武器になる。

 

もうひとつ、潜在意識さんの特徴に「自分と他人の区別ができない」というものがある。

誰かに嫌なことをされて「あの人のこと許せないわ!」と思っても、潜在意識さんはその人とあなたの区別ができない。なので許せないという気持ちは許せないと感じた人に戻ってくる。恨み辛み、呪いにも似た気持ちは自分に返ってきてあなたの心や身体を蝕むのだ。ところがその頃、その恨まれている人はな〜んにも知らずにのほほ〜んと暮らしているかもしれない。理不尽だと思うがどうやらそれが宇宙の法則らしい。

このことを知ったとき「人を呪わば穴ふたつというのはそういう仕組みだったんだ」と合点がいった。穴をふたつ掘るのは潜在意識のなせる技なのだ。「あいつどうしても許せん!!」という強烈な願いが宇宙に届いてその憎い相手に若干の不幸を起こすことができたとしても、「どうしても許せん!!」はどストレートに自分にも返ってくる。せめて穴がふたつ掘れていればいいが、ニュースなんかを見ていると恨まれている人は憎まれっ子世に憚るで元気いっぱい生きていて、そいつに酷い仕打ちをされた人の人生の方がどんどん転落し、心や身体も蝕まれて「神も仏もいないのか〜!」みたいになっている場合が多いように感じてしまう。

一方、潜在意識が「自分と他人の区別ができない」ことは幸せな方にも働く。誰かの幸せを願えばその幸せが自分に返ってくるし、誰かを祝福すればいずれ自分が祝福される立場になるという。誰かが幸せになったときに嫉妬をするよりもお祝いできる人の方が人生お得だということだ。「徳」は「得」なんだな。

 

人を恨まないとか嫉妬をしないとか、前向きでいることは意外と難しい。潜在意識云々の前に心にも訓練が必用だと思う。訓練しないで放っておくと心は呪いの穴をふたつ掘りそうだし、すぐに誰かに嫉妬をしてしまいそうし、将来を悲観して悲惨な未来ばかり思い描いてしまいそうだ。するとアラジンと魔法のランプの魔神のような潜在意識がすぐに不幸な現実を届けてくれる。

幼児の頃からペシミストだった私も不幸な現実を引き寄せないために自分自身の波動を上げようと気分のよくなることを探したり、元気の出る話をYouTubeで聴いたり本を読んだり、自分で自分の機嫌を取るために毎日ありとあらゆることをやって、やっと人並みの前向きさを得たような気がする。そうやって心を訓練していくと前向きでいいられる時間が長くなってくる。これまでの人生は不運なこと、端から見たら騙されたこともあったと思うが、穴をふたつ掘るよりもその人を見下ろせるくらいの山を築きたい。

そんな私もいまは潜在意識を使っていろいろ引き寄せてみようと企んでいる。目指すは大魔法使いだ。