活字の森 思考の迷路

読んだ本や考えたことなど徒然なるままに書いていきます

吸い殻拾いいたちごっこ

3月30日のブログで高速音読を始めたと書いたがいまのところまだ続いている(まだ3日目だけど)。始めて気づいたのは朗読力の衰え!

高速音読なのにちっとも早くないし、滑舌も昔よりも格段に悪いし、読み間違いも多い。人間ってやらないことは衰えていくんだなと実感している。あとはなぜか唇や頬が痺れるくらい疲れる。これはもしかしたら口や頬周りの筋肉が鍛えられているということで小顔効果もあるかもしれない。脳と一緒に顔も若返ってくれたら嬉しいなあ。

mori-meiro.hatenablog.com

 

 

話変わって。

ブログで何度か書いたが私はごみの日に近所のごみ拾いをするのを楽しみにしている。

マンション横の小路はなぜか喫煙スペースになっているようでいつもたくさんの吸い殻が落ちていた。灰皿をひっくり返したんじゃないかと思うくらい落ちている日もあった。

それが、根気よく拾っていたせいか最近は落ちている吸い殻の数が減っていた。やっぱり綺麗にしているとポイ捨てづらくなるものなのかな、善哉善哉と思っていた。

ところが、2月のある日の朝。

私は急いで外出しようとしていた。いつもはエレベーターで1階に降りるのだが、その日は運悪くエレベーターは1階で止まっていた。1階にあるエレベーターを自分のいる階まで呼んで降りるよりも非常階段を駆け下りた方がちょっと早い。私はエレベーターを呼ばずに非常階段を駆け下りた。

2階の踊り場まで来るとあるものが目に入った。

たくさんの吸い殻だった。

「そうきたか!」

と私は思った。いつも拾っていた吸い殻と同じフィルター部分が茶色で葉っぱの詰まっている部分が白い煙草だ(私は非喫煙者なので煙草の銘柄はわからない)。2階に住む小さな子どもが2〜3人いる若いお父さんかな。私の脳裏に煙草をくわえて自転車置き場にいた若いお父さんの姿が浮かんできた。本当にポイ捨ての主がその人かはわからないが、不思議と怒りは湧いてこない。「それでも拾ってやるぜ」とは思ったけど。

だが、ちょっと怖いなと思った。

ひとつは建物火災への恐れ。もうひとつは自分の身の危険への恐れだった。その人はもしかしたら真夜中にひっそりとごみ拾いしている私の姿をどこかから見ていたのかもしれない。それで喫煙場所を非常階段に移したのだろう。「もしかして私の自己満足は恨まれているかなあ」という心配が頭をもたげた。それと、ごみ拾い姿を誰かに見られていた恥ずかしさも感じた。

しかし、私は負けなかった。やはり夜中にこっそり非常階段の吸い殻も全部拾わせてもらった。

その後も急いでいて非常階段を使うことが何度かあったが、私が吸い殻を拾って以来、吸い殻が捨てられていることはなくなった。今度捨てられていたら百均で携帯用灰皿でも買ってプレゼント用のリボンを付けて踊り場に置いておいてやろうと半ば本気で考えていたのだが。

 

 

先日、スピリチュアル系のYouTubeを見た。どうやらその動画主さんもごみ拾いをしている方らしくコメントに「私も○○さん(YouTuberさん)の話を聞いてごみ拾いを始めましたが、どうしてポイ捨てするのかと思うとごみを拾いながら怒りが止まりません」というものがあった。

私は別にポイ捨てする人に怒りは感じない。あー、そういう人、そういう育ちの人なんだなーとは思う。間違ってもお友だちにはなりたくないけどね。もちろんその人たちがポイ捨てをするのを止めてくれればこんなに嬉しいことはないけれど。あとは何となくごみ拾いをどこか自分自身の修行のように捉えている部分もあるからかもしれない。それに昨年だったかエンゼルス大谷翔平選手がごみ拾いは誰かの捨てた幸運を拾っていると言っていたのを聞いてそれからごみ拾いが一段と楽しくなってしまったせいもある。けれど、大谷選手はすっごく幸運を拾っている感が漂っているけれど、私は変わり映えしないなあ。やはり拾った幸運を活かすにはほかにもいろいろやることがあるんだなあ。